「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「向田邦子の青春 写真とエッセイで綴る姉の素顔」(向田和子)

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最近、読んでいる向田邦子の本。ワタシのオヤジよりも4つ年上とは思えない、時代を感じさせない感性と表現力と着眼点。それでいてあの頃の昭和の時代の息吹が感じられてとても勉強になる。
 
さて、この表紙、キレイだよね〜!写真集の表紙みたいだっ!「数多くの姉の写真が埋もれていた。そのほとんどは青春時代の写真だった。じっくり見ていくうちに、その奥にあるものが見えてきた―。仕事、生き方、おしゃれ、そして今もなお、人々の胸に熱く残る珠玉の作品群…21年前の夏、飛行機事故で逝った向田邦子の全魅力を、妹の言葉と百余点の秘蔵写真で振り返る。巻末に年譜収録」そのエッセンスを紹介しよう。
 
姉は何をするにも要領がよかった。お正月などにお客さんが来ることになると、姉は率先しておすしやカナッペなどの料理を作ったが、次姉と私が高校生と中学生になってからは、お客さんが見えて「おめでとうございます」と挨拶してしばらくすると、いつのまにか消えていた。逃げるのもうまかった。姉は十二分に家事やうちのことをやったからもう卒業してもいい、と思っていたのだと思う。帰ってくると、必ず出した料理について、「どれが一番評判良かった?」とか「どれが残っていた?」とか私たちにたずねるのだった。「これが残っていた」と答えると、「じゃあ、今度はそれを出さないほうがいいね」と姉が頭に入れておく。そして次に同じお客さんが来るときには必ず違うものを作った。
 
姉は面と向かって大切なことを言わない人だった。重大なことは、歩きながら言った。もちろん仕事では押し出すところは押し出していたと思う。そうしなくては仕事にならないから。でも身内に対しては違って、シャイな一面があった。自分のことはポツリ、ポツリと、ことが終わった後に話した。そして、本当のこと、重大なことはサラリと言った。
 

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姉は十六歳で終戦を迎えている。だから戦後まもない時期が、姉の青春時代だ。当時日本にはまだ、ファッションと呼べるほどの服がなかった。なにしろ物が不足していた。二十代の頃の姉のスナップ写真やポートレイトが驚くほど多く残っている。それも女優顔負けのポーズばかりだ。どんなところでそんなポーズのつけ方を学んだのだろう。「映画ストーリー」の編集者時代には学生以上に映画を観ていたし、雑誌を作りながら女優さんの写真を数多く扱っていた。そこで、どういうふうに写れば見栄えがいいか、どうすれば、自分の欠点をうまく隠せるか、自然に身につけていったのだと思う。体・顔の向け方、足の置き方、目線の位置、自分が一番格好よく撮れるポーズを知っていた。
 
姉は、決してお説教はしなかった。「私はこう思うけど」と言うだけで、「後はあなたがどう受け止めようが、それはあなたの自由よ」という感じだった。
 

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私は姉から言われた言葉と、姉との思い出が財産だと思っている。旅行も何度も一緒に行ったわけではないし、他の人が思うほどには、頻繁に一緒に食事に出掛けたわけでもない。でも、一回一回の味が濃かった。そしてその一回が、私には大きな影響力となった。
 

「ものまね」「麻雀」「古風な人」「姉のお見合い」「手袋をさがす」「感じるだけでいい」「自分の言葉で話すのよ」など。

 

いいなあ。また向田邦子の作品を読んでみよう。オススメです。(・∀・)

 

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