「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本史の大誤解 激動の近代史編」(夏池優一)

学生の日本史の授業で、「近代史」を学んだ記憶がほとんどない。おそらく幕末や明治維新あたりで終わっているような気がする。1868(明治元)年に明治新政府が誕生してから、1945(昭和20)年に太平洋戦争で大日本帝国が降伏するまの、わずか80年足らずの間に、日本の「今」が急速に構築されたのだ


その「近代史の誤解」をキーワードに、日本の近代を読み直す試みをしたのが本書。近代史トリビア。その一部を紹介しよう。


松下幸之助の奇策 昭和恐慌と経営の神様】


暗黒の木曜日と呼ばれる1929年(昭和4年)10月24日。ニューヨーク株式市場で株価が大暴落し、史上最大の大恐慌の幕が開いた。もちろん、日本も例外ではなく、中小企業は次々と倒産し、失業者が急激に増加。とりわけ深刻だったのが農村である。560万戸の農家は収入は半減。追い打ちをかけるように、翌年には東北、北海道が凶作に襲われ、学校に弁当を持って来られない「欠食児童」が増え始めた。


「娘の身売り」は、貧しい農家を中心に、借金を返すため、泣く泣く自らの娘を売りに出すといったケースが後を絶たなかった。村からは娘たちを乗せた「身売り列車」が出発し、山形県の井沢村では「娘身売の場合は当相談所へ御出下さい」という看板が掲げられている写真が新聞に載せられて話題になるなど、異常な事態に陥っていた。



あの「経営の神様」松下幸之助松下電器昭和恐慌には勝てず、製品の売上は半減。倉庫に入りきらないほどの在庫の山。しかも幸之助がや病に倒れた。幹部は人員削減と賃金カットを提案したが、幸之助は、


「賃上げも、クビ切りも結構やな。だがしかし、ウチはよそのように人のクビは切れん。首切りはない。生産は半分、勤務も半分。給与は全額払う。しかし、休日返上で在庫を売るんや。ここは凌ぐしかない」


吹き荒れる不況の嵐に、解雇を覚悟していた従業員たちが、これを聞いて燃えないわけがない。休日を返上し、かつ、勤務は半日でよいとされていたにもかかわらず、自発的に在庫を売り歩いたという。その結果、在庫は2ヶ月で完売。一人もリストラすることもなく、幸之助は昭和恐慌を乗り切った。幸之助の有名な経営伝説の一つだが、昭和恐慌の悲惨さを踏まえれば、より凄みが伝わってくるはずだ。


その他、「ペリーをやり込めた幕臣がいた!」「新撰組組長 近藤勇の意外な素顔」「知りたくなかった本当の鼠小僧」「英雄 坂本龍馬の真実」「失笑された鹿鳴館のドタバタ劇」「新しい皇室を目指した大正天皇」「大正を駆けた怪人 正力松太郎」「昭和の脱獄王 白鳥の超人伝説」「赤紙が来たらこうなった!」「妻を載せて特攻した兵士がいた」など。


娘の身売りなんて、今では考えられないことだよねえ…。数々の歴史と先人やご先祖様のおかげで我々が存在している。ありがたい、感謝。オススメです。(・ω<)