「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「近代部落史 明治から現代まで」(黒川みどり)

私が高校生の頃、影響を受けたミュージシャン、「フォークの神様」こと、岡林信康。彼の隠れた名曲で、放送禁止歌だった「手紙」という歌がある。これは実際にあった被差別部落の悲劇を歌ったとても切ない曲だ。

さて、「部落問題は、封建制やケガレ意識といった過去の遺物ではなく、今でも形を変えて存在し続けている。近代国家の成立以来、時代ごとに再編・強化されてきた差別構造を解き明かす」そのエッセンスを紹介しよう。


部落問題とは、近世における「えた」・「ひにん」等の身分の中でも、とりわけ「えた」身分に位置づけられた人びとに対して行われてきた社会的差別をいう。そうしてその差別された地域を、被差別部落あるいは身解放部落と称し、行政用語では同和地区と言う。


被差別部落は、1935年(昭和10)年に行われた中央融和事業協会の調査によれば、全国で、地区数5,361、人口99,968人であり、総人口比は、1.44%であった。分布状況は圧倒的に西日本に多く、一つの部落の規模が大きいところも少なくないのに対し、関東地方は小数点在型である。本書は歴史学から被差別部落に迫ろうとするものである。


1871年(明治4)年8月28日(旧暦)、明治政府は「穢多非人等ノ称被廃候条自今身分職業共平民同様タルヘキ事」という法令を太政官布告として出して賤民身分を廃止し、以後、身分職業ともに平民と同様にするとした。これを、のちに「解放令」と呼ぶようになった。


・「解放令」発布にいたった直接の原因は、1871年の戸籍法において、身分別把握から地域別に人を把握する方法に転換するもので「臣民」として扱われず地域主義把握の外にあった「えた」・「ひにん」等の人びとを、一括して「平民」に組み入れる必要があったこと。そして地租改正によって統一的近代的な税制を確立する必要から、形式的な平等が必要とされたこと。廃藩置県により士族解体と、士族という族籍と職業の分離を意図しており、その一環として賤民身分の解体も考えられていたことがあげられよう。


・「解放令」後、身分とともにそれと表裏一体の職業をも失った被差別部落の人びとの混乱と困窮がいっそう深刻になったであろうことは想像に難くない。ある被差別部落では、「解放令」後、百姓をするように仰せつかったが、そればかりでは生計を立てるのが難しく、差別がなくなったとはいえ、もはや「乞食非人同様」のものも見られると報告されている。


・また、被差別部落の住民一同で、今後は部落民の徴表とされるような履物製造、斃牛馬(へいぎゅうば)処理、皮革業などに従事しないという取り決めを行ったところもある。しかし、現実には生活の糧を確保しなければならないために、それらの仕事を継続したところが多い。


♪〜「もしも差別がなかったら 好きな人と お店が持てた   部落に生まれた そのことの どこが悪い 何が違う」〜♪岡林信康「手紙」より)

差別がなくなることを祈る。オススメです。