「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「逆説の日本史11 戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎」(井沢元彦)

  


さあ、今年全巻読破を狙っているこのシリーズも、いよいよ11巻目!けっこう骨があるので、5日間くらいかかるんだよねえ…。いよいよ豊臣秀吉が登場。そのエッセンスを紹介しよう。


豊臣秀吉の右手の指は六本あった。こういうのは先天性多指症という。秀吉は少なくとも天下人になる以前はこのことを別に隠そうとしてはいなかった。なぜこのことを歴史書、歴史書は触れていないのか。仮にヘレン・ケラーの伝記で、彼女が身体障害者であることが伏せられていたらどうか?そんな伝記は三文の価値もない。触れるべきことを。あえて無視するのも、差別ですよと申し上げておこう。


「羽柴」という苗字は、「羽」は「端」、「柴」は「山野に生える小さい雑木」、「羽柴」は「取るに足らない」の意味。つまり「私はハンパな男でございます」ということだ。「秀吉」はどうなのか?「稗吉(ヒエヨシ)」から転化したのではないか。昔は不作が多く飢饉も珍しくなかった。大切なことはとにかく「食えること」。米がよく食えるように「米吉(ヨネヨシ)」は無理でもせめて稗ぐらいは不自由しないでくれというのが「稗吉(ヒエヨシ)」である。羽柴秀吉」とは、「ハシバ売りのヒエヨシ」であって、「皆様方よりずっと卑しい身分の出でございます」という秀吉の保身術なのである。下層階級の出身で、身体に異常が有り、醜悪な容貌なのに、脳力があり主君の覚え目出たく、しかも美人妻(?)までめとっているのである。


・ご丁寧なことに秀吉は、自分の出世にともなって、自分の「低く」見せる工夫を常にしてきたのである。にもかかわらず、秀吉は一転して「天下人にふさわしい正統性」を創出しなければならなくなった。さて、どうすればいいのか?


秀吉が天下を取れたのは、信長と一緒に信忠まで死んでくれた、からだ。もし、信忠が生き残っていたら、織田家の「忠実な」家臣として秀吉は信忠に反抗できない。秀吉が、前田利家丹羽長秀を味方につけ、柴田勝家滝川一益を滅ぼすことができたのも、信忠がいなかった、つまり織田家当主の座が空白だったからだ。


・秀吉の朝鮮出兵=唐入り」を歴史上の事件として冷静かつ公平にとらえるためには「課題」がある。それは前近代において、戦争あるいは侵略は決して絶対悪ではない、という認識を持つことだ。なぜアレキサンダーが「大王(偉大な王)」なのか。前近代においては、異民族を侵略、征服した人間こそ、まさに英雄だからである。外国へ侵略し異民族を征服する者ーこれこそ前近代のおける英雄の条件である。これに対応するように、異民族からの侵略を撃退した者も英雄であった。


外国へ侵略し異民族を征服する者ーこれこそ前近代における英雄の条件である。これに対応するように、異民族からの侵略を撃退した者も英雄であった。何も古代だけの話ではない。チンギス・ハーンナポレオンもそうだったし、この点では東洋も西洋も変わりない。これは世界史の法則なのである。


・確かに戦争は悲惨なもので、この秀吉の頃にも家族や財産を失い、「もう戦争は嫌だ」と痛切に感じた人々もいたことは間違いない。だが、多くの兵士にとって、当時最も花形の職業であった兵士にとっては、戦争が続くとうことは一大チャンスでもある。現に、彼等のトップである秀吉は、最下位の身分から最高の地位までのぼりつめた男ではないか。乱世(戦争)が続く限り自分が「秀吉」になることも、決して夢とは言えない。


その他、豊臣秀吉、その虚像と実像編ー歴史学者がタブー視する差別構造」「織田つぶしの権謀術数編ーいかにして権力の正当性を確保したか」「対決、徳川家康編ー最大のライバルを屈服させた人質作戦」「豊臣の平和編ー宗教、貨幣、単位を統一した専制君主の国内政策」「太閤の外征編ー朝鮮征伐に観る日本人の贖罪史観」「惣無事令(豊富平和令)とは?」「秀吉の大仏建立」、「デマルカシオンー地球分割計画とは?」などなど。改めて言おう。このシリーズは歴史の教科書にすべきである。オススメです。(・∀・)