「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「遅咲き偉人伝 人生後半に輝いた日本人」(久恒啓一)

うーん、いい本だ。これだから読書はタマラナイ!(・∀・)若くして成功する人もいれば、人生の後半に成功する人もいる。この本は後者の人生や生き方、エピソードを集めた本なのだ。その中でも特に印象的だった昭和の巨人を紹介しよう。


松本清張】幅の広さと奥の深さと圧倒的な仕事量で時代に屹立した大小説家



松本清張(1909〜1992)が作家活動40年の間に書いた作品は、長編・短編を含め、実に1000編に及ぶ。書著は700冊。43歳という遅い出発だったにもかかわらず、この量と質だから、常に「時間との戦い」ということを意識していた。


「命の時間との競争だ」といつも言っていた・調べものには厳しかった・緊張感がありいつも真剣勝負だった・「時間がない。他の作家がゴルフなどをやるのは信じられない」と語っていた・自らを奮い立たせた人だった・途方もないエネルギーを持つ怪物だった・「書くことが多すぎる」と語っていた、などのエピソードがある。


このように清張には「遅咲き」という意識が常にあり、趣味などには一切見向きもしないで天職に没頭した人生を送った。清張は好奇心が強くあらゆるものに興味を持ち、作品の主題に基づいて形式と表現方法を考えた。清張は「好奇心の根源とは?」との問いに、「疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる」と語っている。


15歳電気会社の給仕、19歳印刷会社の見習い職人、24歳オフセット印刷所見習い、28歳朝日新聞社九州支社広告版下係、34歳正社員、35歳第24連隊入隊、39歳朝日新聞社西部本社広告部意匠係、そして41歳「週刊朝日」懸賞小説に西郷札で三等入選、44歳『或る「小倉日記」伝』芥川賞受賞、東京への転勤を経て47歳で朝日新聞社を退社し、作家活動へ入る。40代後半から、やっと念願の創作活動に専念する。そして49歳「点と線」がベストセラー、52歳所得番付作家部門一位、と満82歳で亡くなるまでの35年間をまさに仕事の鬼となって、良質の膨大な作品群を生み続けた。


清張は家庭の経済状況から進学できずに、最終学歴は高等小学校卒だった。学歴による差別を受けると、その落差を埋めるだけの闘志をもって仕事をしていた。「いつかは小説家になろう」と思って本をよく読んだ。それが心のより処だった。酒も控え、趣味も持たず、ひたすら努力を重ねる人生であった。読者の声と自分の誠実さを頼りに仕事に没頭する姿を垣間見る思いがする。


その他、森繁久彌与謝野晶子遠藤周作武者小路実篤牧野富太郎大山康晴野上弥生子本居宣長石井桃子平櫛田中徳富蘇峰寺山修司、川田龍吉。森鴎外新田次郎宮脇俊三。村野四郎、高村光太郎、など。


どれを読んでも勇気づけられる。人生に遅いということはないねえ。超オススメです。(・∀・)