私が生まれた昭和39年に世界のホームラン王・王貞治選手が樹立した55本の本塁打記録がヤクルト・バレンティン選手が塗り替えたね。王さんといえば、背番号1。そしてヤクルトの背番号1と言えば、私の世代では、忘れもしない、小さな大打者・若松勉だ。(・∀・)
通算2173安打(歴代20位)、通算打率.319(4000打数以上なら歴代2位、5000打席以上なら歴代1位)「3年でダメなら北海道へ帰ろう」と思って飛び込んだプロの世界で、42歳までプレーし、これだけの数字を残せるとは夢にも思わなかった、という若松氏の打撃論。そのエッセンスを紹介しよう。
・もし私が体の大きな選手だったら(168センチ)、もっとガンガン打って、もっと素晴らしい成績を残すことができただろうか。答えは「否」である。体が大きかったら、もっと練習もおろそかになり、安易な気持ちで野球に取り組んでいた思う。小さいからこそ、大きな選手に負けまいと人一倍練習し、人一倍野球と真剣に向き合ってくることができたのだ。
・23歳でヤクルトからドラフト3位で指名された。とにかく最初はガムシャラだった。ちゃんとした打撃理論もないままやってきた私は、まず中西(太)さんに付いて、一からバッティングを学んだ。この時期に中西さんから学んだ技術や練習法が、私のプロ19年間を支えたと言っても過言ではない。
・中西さんはバッティングを教える際に使う言葉も巧みだった。「ボールを打つときは、女性のお尻を撫でるように。そうやってボールの内側から押し込むように打てば、回転のいい打球がライナーで飛んでいく」不思議なもので、理屈で教えられるより、こうした俗な言葉で言われたほうが記憶に残る上、理解も速い。
・インパクトの瞬間に最大限の力を集約する技術があり、なおかつタイミングさえ合えば、体は小さくてもホームランは打てる。だから私は野球教室へ行くと、子どもたちには、体が小さいという理由でホームランをあきらめる必要はないと教えている。
・チームの要である古田が面白いことを言っていた。「野村監督は、『この人についていけば大丈夫』と思わせる監督で、若松監督は、『この人を優勝させたい』と思わせる監督」。
ボールとの出会いは人との出会いでもあった。「万球一会」。野球って素晴らしいねえ。若松さん、もう一度監督やって欲しいねえ。オススメです。(・∀・)