「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「三角寛サンカ選集 サンカ社会の研究」(三角寛)

 


私が「サンカ(山窩)」に興味を持ち始めたのは数年前。初めてその言葉を聞いたときに興味が尽きることがなかった。幻の漂泊民「サンカ」とは、詳しくはこれを読んで欲しい。


サンカ(Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AB_%28%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6%29


さて、この本は、そのサンカの社会構造を体系的に究明した幻の名著の復刻なのだ。絶版だったこの本、実に神秘的だ。そのエッセンスと貴重な写真を紹介しよう。



「絶滅を辿るサンカ」


前人未到のサンカについては、尋念すべき文献は全くなく、ただ現存するセブリ生活者を求めて、その実生活を探求し、その実態を知る以外に、研究の方法がなかった。しかもそれを探求することは、危険の伴ふことが多々であった。研究は、昭和3年から同36年まで、33年間に及んだが、まだ満足すべきものとはいへない。その間には、日支事変や大東亜戦争があったため。セブリの実態は急変して、神代からの生態を持続してきた珍重なセブリの実態は、日に日に行作遷流に押し流されて消滅しつつある現状である。したがって、サンカの実態も、私の生涯と共に絶滅して、私の死後においては、まったく記録することが不可能となるので、ここに33年間に得た資料を記録して、後世の研究に供することにした。


焼湯



風呂の深さは、大人が二人入ってもまだゆっくりしている。紙の青竹の笄(かんざし)は、正式なセブリ髪である。
風呂桶をもたないサンカは、地面に穴を掘って、ビニールの雨覆いを穴型に敷き、それに水を汲み込んで、焼石を投げ込み、ヌルマ湯にして入浴する。この奇妙な風呂が焼湯である。昔は桐油紙を用いた。(昭和25年5月10日、武州槻川緑セブリ地帯で)


ムレコの家族。右の天幕がセブリである。セブリ主はムレコ(村長格)で、女房は生粋の箕作人(ミツクリ)である。左端から二番目の女児を長子(カミコ)に男2人、女3人の子どもとその両親。(昭和23年6月24日。武州新河岸南畑のセブリで)



・一群の指揮者は65歳のムレコである。右手はいつも指揮をとれるやうに、ヒゴは左にかつぐ



解説:沖浦和光桃山学院大学名誉教授 比較文化論・社会思想史)


・一部のジャーナリズムがバラまいた偏見と蔑視に曝(さら)されながら、サンカと呼ばれた漂泊民は1950年代ごろまでいたことだけは確かである。だが、60年代からの高度経済成長期に入ると、急速にその姿は消え、70年代にはまったく見られなくなった。手っ取り早く言えば、市民社会の中に融合していったのだ。


フィクションなのか、ノンフィクションなのか、それさえもわからない。だから、幻なのだ。「サンカ」に興味が付きない。超オススメです。(・∀・)