「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「教科書には載っていない!戦前の日本」(武田知弘)

今年は、2015年=平成27年、昭和でいうと昭和90年で、戦後70年になるんだよね。(・∀・)


さて、「今から70年前、日本はまるで別の国だった…。 国会にはヤクザの親分議員がいて、街では政府公認で売春が行なわれている。薬局に行けばモルヒネ覚せい剤が手に入り、丁稚の小僧さんは昼夜区別なくただ同然の給金でこき使われる。サラリーマンはエリートで、独身女性の憧れの的。秘密のポルノ映画鑑賞会まで行なわれていた…。20世紀最大の悲劇、第二次世界大戦に突入する前の日本、その新旧入り混じる、混沌の姿を解き明かす!」そのエッセンスを紹介しよう。


【戦前の結婚生活の実態】


戦前は早婚だったらと思われているが、意外とそうではなかった。「戦前の女性は、十代で結婚するのが普通だった」というも誤解である。明治初期はたしかに婚期が早かったが、その後になって晩婚化が進み、昭和15年(1940)頃には、男性28歳、女性24歳が初婚の平均だった。明確な統計はないものの、結婚の方法はほとんどが見合い結婚だったと思われる。恋愛結婚もあるにはあったが、戦前は婚姻に戸主の同意が必要だったので、勝手な結婚は事実上許されていなかった。農家の場合は、見合いの機会さえなく、親同士の話し合いで決まってしまうこともあったという。


意外にも戦前の日本では離婚がけっこう多かった。明治16年(1883)の離婚率は、3.39だった。離婚が急増した平成14年(2002)でも2.30なのでその数値の高さがわかるだろう。当時は、嫁や婿をもらっても一定期間は籍を入れないでおく、ということが広く行われていた。法的には結婚していないのと同じである。気に入らないなら、いつでも追い出すことが可能だったのだ。この方法は「試し婚」「足入れ婚」などと呼ばれ、戦前を通じて行われていた風習だった。大正9年(1920)は夫婦全体の17%がまだ婚姻届を提出していない「足入れ婚」状態だったという。これらのことから、戦前の実質的な離婚率はかなり高かったことが推測できる。


・戦前昭和10年(1935年)男性の平均寿命は約47歳、女性は約50歳だった。これは戦前の人々が50歳前後でパタパタ死んだわけではない。若くして亡くなる人が多かったため、こういう数字になったのだ。このことから戦前はちょっとした病気で死ぬことが多かった。昭和10年代の死亡率は、1位は結核、2位は肺炎、気管支炎、3位は胃腸炎の順番になっている。当時は抗生物質がなかったので、抵抗力の弱い子供が胃腸炎の犠牲になった。また戦前は野犬が多く、狂犬病の予防接種をしていない危険な犬がいたるところにいた。大正13年1924年)には、狂犬病で253名もの死者がでている。


その他、「国会議員にヤクザの親分がいた」「合法的な売春地帯「遊郭」」「戦前もあった、援助交際」「危ないクスリが薬局で買えた!」「飛行船ツェッペリン号の来訪」「戦前にあった脅威の経済成長」「戦前の日本は貿易大国だった」「日本はアジアの革命基地だった」「すでに電気が通っていた」「最先端にあった日本の科学」「幻の超特急「弾丸列車計画」」「大阪が日本最大の都市だった!」「戦前は日本映画の黄金時代」「過酷で激しい受験戦争」「なぜ、戦前の父親は強かったか?」「サラリーマンはエリートだった!?」「百万部のお化け雑誌「キング」」「戦前のデパート文化」「元祖タレント犬「忠犬ハチ公」」「悲劇の病気「肺結核」」「即席で作られた日本の貴族たち」「日本を支配した財閥」「戦前の下層社会」「海を渡った移民たち」「徴兵制度と徴兵逃れ」など。


いや〜戦前の日本ってこんな国だったんだー!もっと知りたーい!オススメです。(・∀・)