「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「栄養学を拓いた巨人たち」(杉晴夫)

  

いや〜またまた良い本にめぐり逢いました!だから読書はやめられない!!!(・∀・)

今は、当たり前のようなカロリー計算や、栄養学を構築するには、数多くのドラマがあった!「偏見と無理解に苦しみながら勇敢に戦った天才研究者たちのビタミン発見ほか偉業の歴史!」そのエッセンスを紹介しよう。


今では当たり前になった栄養、カロリー計算などに人類が気づくまでには、多くの孤高の天才たちの努力の積み重ねがあった。食物になにかが欠けていると健康の損なわれることは、現在では常識となっている。しかし、この常識を獲得するまでには、多くの研究者の忍耐強い「血みどろの」研究が積み重ねられたのである。現代のわれわれの想像をはるかに超えるものであった。


ラボアジエが発見した体内の燃焼」


1974年当時はまだ栄養学は存在せず、人々の食事は貴賎を問わず、栄養的に偏ったものであった。したがって世界のどの国でも「人生五十年」つまり平均寿命が50歳を超えることはなかった。ラボアジエが「化学原論」を書き上げていなかったら、われわれの文明の進歩は100年以上遅れていたかもしれない。


「病原菌なき難病」


古代から人類に広く認められていた難病、壊血病「海の紫斑病」といわれ船乗りがかかる病気だった。患者は気力がなくなり、体力も衰える。さらに内出血をお越し、貧血症になり、歯茎が壊死して歯が抜け、食物をとれなくなり、長引けば死亡した。壊血病の歴史で不可解なのは、その治療法がはるか以前から繰り返し記録されていたにもかかわらず、無視されつづけてきたことである。例えば16世紀初めにインドに航海した船員で壊血病に掛かった者は、ミカンを食べることで治癒した。17世紀にも、ミカンを積んだ船では壊血病患者が出ず、積まなかったすべての船は壊血病に悩まされた。しかし驚くべきことに、相変わらず大多数の人々はこれらの事実を無視しつづけた。なぜなら、感染症が突如発病するのに対し、ビタミン欠乏症はゆっくりと進行するので、患者はたとえ症状が現れはじめても、これが物質の欠乏によるものであることなどわからないからである。時代が20世紀に入るまで、医学者はビタミン欠乏症を明らかにするきっかけをつかむことが出来なかったのである。


その他、「栄養学の黎明期」「消化と吸収をめぐる論争」「ビタミン発見をめぐるドラマ」「エネルギー代謝解明をめぐるドラマ」「栄養学と社会とのつながり」とくに、「三大栄養素をめぐる論争」「カロリー計算のはじまり」「脚気と戦った先駆者たち」「難病ペラグラ、糞尿まみれの解決」「悲運のATP発見者」…など。


いわば、栄養学版のプロジェクトXだね〜!これは理科の教科書にしたい。超オススメです。(・∀・)