「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(金子哲雄)

2012年10月、肺カルチノイドという急性の難病により、41才という若さで急逝した流通ジャーナリスト、金子哲雄氏。親しみやすいキャラクターと独特の語り口で人気者だったよね。


死期を悟った金子さんは、会葬礼状まで生前に用意して、自分の葬儀を自分でプロデュース、自らの死をも「流通ジャーナリスト」としての情報発信の場にしたのでした。まさに、みごとというほかないその最期・・・。しかし、彼が「余命0」宣告を受け入れて死の準備を整えるまでには、乗り越えなければならない悲しみ、苦しみ、そして何より、最愛の妻を残していくことへの葛藤がありました。死の1か月前から、最後の力を振り絞って書き上げた本書には、その一部始終が綴られています」

いや〜すごいなあ。もし自分がそんな状態になったときに、このような記録を残せるだろうか。そのエッセンスを紹介しよう。



・(妻・金子稚子(わかこ))

金子は自分の闘病を通じて、多くのことを体験し、学んでいました。例えば、がん治療の現実です。発見が遅かったり、再発や転移があったりして、いわゆる三大治療(手術・抗がん剤放射線)が受けられない状態になった患者がどうなるのか。身をもって体験することができました。今、金子と私はあの世とこの世、別々の世界に生きています。でも、不思議なことに、金子が私の側にいてくれていることが、私にはよくわかっているのです。金子に導かれるように、様々なことが動いていくのを、毎日体感しています。


私は人生を自分で早送りしていたのかもしれない。速く走りすぎていたから、神様に急ブレーキを踏まれたのだろうか。90歳過ぎまで生きると思っていたわけではない。でも、まさか40代でそんなことになろうとは、露ほども思っていなかった。走り続けていた私に突然もたらされたのが、医師からの宣告だった。


仕事は、辞めたくなかった。仕事は生きる希望だった。だが一方で、妻や周囲からは「仕事をセーブしたほうがいい」と言われていた。オペがうまくいったからといって、完治するわけではない。いつ、危篤状態に陥るかわからないというのが、私の体だった。仕事は極力、セーブしておくほかないと考えた。6月初頭にがんの可能性を指摘された後、真言宗の総本山にある高野山大学大学院の通信教育課程の願書を取り寄せることもしていた。やはり死にたくない。死ぬのが怖い…だから大学院に通って、死生観を学ぼうと思ったのだ。…だから大学院に通って、死生観を学ぼうと思ったのだ。オペの後、受験し、無事に合格することができた。自分は仕事でここまで生かされてきたのだ。だったら、最後まで仕事をしよう。いや、していたい。仕事と治療の両立。それが、自分が出した結論だった。今までの仕事量の中に、オペや通院を組み込まなければならなくなったので、むしろ以前より忙しくなったのかもしれない。


・なぜ自分の葬儀に真剣になるのか。葬式は、あとに残された人間が、自分たちのためにやるものだ。任せておけばいいじゃないか。そう思う人もいるだろう。でも本当にそうだとうか。結婚は、実際は「一生に一度」じゃない。場合によっては、二度、三度することもある。結婚式だって、何回もする例が実際にある。では、葬儀はどうか。これは間違いなく、「一生に一度」だ。しかも葬儀には、当の主役はいない。私は、細かく仕切ることが大好きなのだ。自分の仕切りで、参列いただいた方々に気分よく帰ってほしいのだ。みんなに最大限のサービスをしたいのだ


・三歳の時に、初めてひとりで買い物に行かされた時から、「安く買う」ことが大好きだった、スーパー通い、アキバ通い、「人間価格ドットコム」、学生時代から評論家ー「お買い得情報を伝える人」になりたい願望、「300万の年収で600万の暮らしを保証するから」というプロポーズ…正に金子氏は、自分らしい、自分しかできない人生を生き切ったそんな気がする。スゴい。感動の一冊だ。オススメです。