「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「放浪の天才数学者 エルデシュ」(ポール・ホフマン)

いや〜すごい本に出会いました!!!これだから読書はタマラナイ!「古びたカバンには替えの下着とノートのみ。世界中を放浪しながら、一日19時間の数学三昧!史上最高の頭脳をもつ宇宙一おかしな数学の天才・エルデシュの、抱腹絶倒の生涯とは?そのエッセンスを紹介しよう。


エルデシュは数学のために最大限の時間を割けるような生活を作りあげていた。かれを縛る妻も子供も、職務も、趣味も、家さえ持たなかった、粗末なスーツケースひとつと、ブダペストにある大型百貨店セントラム・アルハズの、くすんだオレンジ色のビニール袋ひとつで暮らしをまかなっていた。すぐれた数学の問題と新たな才能を探す終わりのない旅を続けながら、エルデシュは四大陸を驚異的なペースで飛びかい、大学や研究センターを次々と移動して回った。知り合いの数学者の家の戸口に忽然と現れ、「わしの頭は営業中だ」と宣言する。そして、一日か二日、かれが退屈するか、かれを泊めてくれる数学者が疲れきってしまうまでいっしょに問題を解く。それから次の数学者の家へ移るという具合だった。エルデシュのモットーは、「行く先々に女」ではなく、「行く先々に証明」だった。二十五か国以上へ出かけて問題を解き、人に知られていない僻地で重要な証明を完成させ、ときには同じように人の知らない雑誌にそれを発表したりした


・三歳で初めて数学と出会ったエルデシュは、母親が死んでからかれ自身が亡くなるまでの二五年間10から20ミリグラムのベンゼドリンやリタリン、強いエスプレッソ・コーヒー、カフェインの錠剤の助けを借りて、一日に十九時間、問題を説き続けた。「休む時間なら墓の中でいくらでもあるさ」。


エルデシュにとって大事な、ただひとつの所持品は数学のノートだった。死んだとき、そうしたノートは10冊になっていた。そのときどきに浮かんだ数学的な洞察を書きと得ておけるように、いつもノートを一冊持ち歩いていたのである。


エルデシュは数学の神童だった。三歳にして暗算で三桁の数学同士のかけ算ができた。四歳で負の数を自ら見つけ出した。奨学金や講演で手に入るわずかな金は、みな親戚や仲間、学生、そして赤の他人にやってしまった。金をやらずにホームレスの前を通り過ぎることができなかった。白内障の手術が必要だったときさえも、拒否し続けた。手術をすれば。一週間を棒に振らなければならない。そのわずか7日間でさえ、数学をせずにはいられなかったエルデシュは数学に仕える修道士だった。かれは禁欲的な黙想に耽る生活のために肉体的な快楽や物質的な所有欲を放棄した。数学の真理を明らかにするという、ただひとつの限られた使命に捧げた生活のために。


あの博士の愛した数式の主人公のモデルにもなったんだって!こういう天才に憧れる。オススメです。(・∀・)