「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「僕に方程式を教えてください 少年院の数学教室」(高橋一雄 瀬山士郎 村尾博司)

この本はスゴい!タイトルだけで涙が出そうになった!内容をイメージしてしまった!!学ぶって、わかるって、数学のチカラってスゴいんだねえ!!!(・∀・)
 
 
学校でも刑務所でもない、少年院における教育の可能性とは?ベストセラー参考書の著者でもある注目の数学指導者と数学教育の専門家、少年院を知り尽くした元法務教官が、改正少年法施行を目前にそれぞれの立場から少年院における数学教育の意味を論じる。「先生、自分も大学行けますか?」「あ~、もっと早く少年院に来てればよかった!」。なぜ数学こそが、少年たちを立ち直らせるきっかけとなるのか。
「非行少年」たちの真実と数学の魅力に迫り、可能性のある子どもたちで溢れる少年院の在り方、数学教育の重要性を描く一冊」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
「心の扉には取っ手は内側にしか付いていません。外側には取っ手がないのです」北海道家庭学校・第五代校長・谷昌恒氏)
 
入院少年たちの基礎学力は欠如しています。が、それ以前に、法務教官の態度がいかにも学力の点で確実に少年たちを見下していることが、私にはどうしても許せなかった。さらに、少年院では授業を含め常に少年が発言を求めるときは、必ず挙手し、許可を得なければ発言はできません。
 
・今回、私たちが赤城の授業に参加した理由はふたつ。ひとつは少年たちに学ぶ・分かる喜びを知ってもらうこと。ふたつ目は、教官の指導力をあげることです。でも実は教官の意識改革なんだと感じました。
 
・「少年院という特殊な場では、まずは学力で彼らのプライドを傷つけないことが第一である」そして「わからないこと、間違えることは決して恥ずかしいことではない」という点を、どうしても教官に分かって欲しく。厳しく指摘をした記憶があります。
 
・授業内容は、瀬山先生の提案をもとに「一次方程式」が解けるようになることを最終目標に進められました。
 
・少年院では、教官は絶対に少年たちに背中を見せてはいけないという規則があるのだそうです。また、原則、少年たちの身体に触れることも禁止なのです。このことを知らなかった私は、あとあと大変な経験をすることになりました。
 
「ちょっと難しいかもしれないが……」は指導する側のマジックワードなんです。授業を受ける側としては「もし説明が分かれば、本人にとっては自信にもなるし、分からなければ、難しい内容だから、分からなくてもいいんだ!」安心するでしょ!だからどちらに転んでも、少年たちはマイナスではなく、プラスになるわけなんです。
 
とことん話を聴き、とことん考えさせ、とことん付き合うよく言われる言葉。「先生のように、学校では自分の言うことを聞いてもらえることはなかった学校の授業で質問をしても、先生から無視され話も聞いてもらえなかった。だからうれしい」。研究授業後、「高橋さん、彼が考えている時間を計っていたんです。17分ですよ」と驚いていました。
 
・間違えると「先生、もう一問自分にやらせてください!」または、「確認のためもう一問解いてみる?」と声掛けするとハイ!お願いします」と、皆、積極的に授業に参加することが普通の授業風景になっています。
 
・指導していると、よく「先生、これであってる?」と質問をされます。皆が
なぜここまで間違えることを怖がるのか。何かを習得する上で一番大切なことは「間違えること」だと私は考えています。常に言う言葉が自信を持って間違えてください」この姿勢がどの分野でも重要なことだと思うのは私だけでしょうか。少年たちは間違えることが、何か悪いことをしているかのように不安がります。少なくとも教科学習の上で間違えることは大いに結構なこと
 
代数を学習する上での本質は「単位」である分数計算は単位計算だとの説明を聴き、「単位」すべてが一連の流れとして説明ができると気づいたわけなんです。「4/2(2分の4)は、1/2(2分の1)単位が4個分を意味しているか、2とは違う」
 
・裁判官の言葉「最近の少年は抽象的な表現ができない。でも、今回の授業を拝見し、数学の授業が彼らの抽象的表現能力を伸ばすのに、大変意義があると感じました」
 
・「先生、俺ね、中学校の教師になりたいんだ。もし、あのとき、学校の先生が逃げずに俺たちに正面からぶつかって来てくれていたら、絶対に俺は変われたと思う、でも、学校の先生は皆、怖がって誰も自分と向かい合ってくれなかったんだよ。だから、俺はとことん生徒と向き合う教師になりたいんだ」
 
・「先生、俺も高校に行けるかな?俺、実は夢があるんだ。だから高校に行きたいんだよな」
 
・「先生、自分がやってきたことが自分でも信じられないほど、どんなに悪いことをしてきたかは分かっている。だから、勉強してしっかりとやって行きたいというか、やらないといけないと反省している。でもね、社会に出て本当に本当に辛くなったら、俺、楽してお金を稼ぐ方法を知っているから、もしかすると戻ってしまう自分がいるのも確かなんだよ。
 
「先生、俺たち能力はあるが、学力がないだけなんだよ!だから、先生、俺たちに勉強教えてくれよ!」
 
・「少年院で授業を受ける段階ではまったく数学はできなかったが、授業を受けているうちに徐々に分かるようになり、子どもの頃の夢であった宇宙工学の研究者になろうと思うようになったんです」
 
「出院できるのはとてもうれしいけれど、先生方の授業が受けられなくなるのは残念です」
 
「ここに来て、初めて大人の本気に出会え、初めて愛を知り、十五年間の中で一番幸せでした」
 
・興味深いデータがあります、少年院入院時における少年が信用できる人の順は「母親・父親・友人・法務教官・職場の上司・職場の同僚・学校の教師」であるが、出院時には、「母親・法務教官・父親・友人・職場の上司・職場の同僚・学校の教師」と、父親・友人を抜き二番目に変わっています。たった11ヶ月で少年の信用を得る苦労は、並大抵なものではないと思います。
 
・分数など生活で使わないのだから学ぶ必要ないのか。そうではありません。それは、分数の理解が抽象的にものを考えるはじめの一歩だからです。数の理解は具体的なものの個数を表す自然数から始まります。しかし、分数という数は具体的な個数を表しません。すなわち分数自体がかなり抽象的な概念なのです。分数だけでなく、数そのものが抽象的な概念です。私たちの目の前にあるのは、3人の人であり、3個のりんごのような具体物です。数はものの個数を表すために考え出された抽象的な概念そのものです。誰も数を見た人はいない
 
 
・ひと月前まで、少年のほとんどが分数計算ができなく、当然、文字式の計算などは問題外の状態。
 
・世界の様々な物事は、本質的でない部分を考えず、抽象的に考えた方がわかりやすいことがあります。抽象的に考える能力を養うことは、人の文化を考える上でも、とても大切なことです。数学では抽象化という視点がはっきりしているのです。方程式は未知数を含む状況や状態を、言葉ではなく数式という抽象的な道具で表したものに他なりません。方程式を使って考えること自体が、抽象化の階段を一段上ることになるのです。
 
・まとめると数学はその性格として、抽象性、論理性、記号化という側面を持ちます。計算技術を学ぶ中にも、抽象性や記号化、論理性がしっかりと組み込まれているのです。
 
「非行」という仮面の下には、生きづらさを抱えた自尊感情の低い少年たちがおり「大人は信じられない」という言葉の裏側に愛情に飢えた心情を抱えていること、「頭が悪いから」と繰り返す彼らの本音には、学びへの渇望があることを知っています。また、過ち犯した彼らは、加害者である前に社会によって生み出された被害者側面があり、率直に「助けてください」というSOSを出すことができない不器用な生き方しかこれなかったのです。
 
本気で向き合いながら丸ごと受け止めてくれる教官とのぶつかり合いの中で、自尊感情が育っていきます。そして、規則正しい生活のもと、当たり前のことをコツコツ努力して得られる小さな成功体験。それを重ねることで、学ぶ意欲が回復し、自己効力感も高めることができるのです。そして本人を理解し支えてくれる身近な大人の存在が安心感を生み、踏み出す勇気を得ます。例えるなら、初めて自転車に乗るとき、後ろの荷台をさりげなく持ちながら一緒に走り、タイミングを見計らってそっと手を離してくれる大人の存在です。

 

数学が苦手なワタシ、再度学びたくなりました。数学の奥深さに触れたい!超オススメです!!!(・∀・)