- 作者: 池上彰
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/07/01
- メディア: 単行本
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世界中を取材した池上さんが、仏教、キリスト教、イスラム教の3大宗教から、神道、ユダヤ教まで、7人の賢人とのインタビューをまとめたのがこの本。世界を正しく理解するために必要なエッセンスがこの一冊に。その一部を紹介しよう。
・いま、宗教についての関心が高まっています。書店に行くと、宗教についての書籍や雑誌の特集をよく見かけます。いったい、なぜでしょうか。ひとつには、団塊の世代が、いよいよ身近に「死」の準備をする時期になったと感じ始めたからでしょう。人々は、なぜ宗教を求めるか。結局は、心の安寧を求めているのです。私は、宗教を考えることは、よく死ぬことだと思っています。つまり、どう死ぬかという予習なのです。よりよく死ぬとは、よりよく生きることでもあります。
・仏教は、経験則や臨床事例から大きく外れている領域を語ることには慎重です。たとえば、世界の始まりとか、宇宙の終わりとか、そういった問題については基本的に語りません。
・若い人に、「二度と生まれ変わらないことが仏教の目指す理想なんだよ」というと、びっくり仰天します。
・仏道は、まず「生きるということは、苦である」といった自覚から始まります。ずいぶん悲観的で厭世的な印象を受けますが、この場合の苦とは「思い通りにならない」の意です。生きるということは、思い通りにならない。これは誰もが直面せざるをえない苦悩です。そこで、「思い」の方を調える。「思い(執着)」が強ければ強いほど、現実との落差は大きくなります。つまり苦悩が強くなるわけです。身体を調え、思いを調え、言葉を調え、生活を調えるトレーニングを実践することによって、執着を小さくすれば、苦悩も小さくなる。究極的には、執着をなくしてしまえば、苦悩もなくなってしまう地平を目指します。仏教とはそういう宗教です。
・仏教は、真剣に道を求める者にのみ、門を開くという性質を持っています。たとえば、すでに形式化していますけど、禅の修行道場に入門する時だって、なかなか中に入れてくれないんですよ。どれほど本気で求めているかが問われる。
・「南無阿弥陀仏」とは、ひらたく言うと、阿弥陀仏におまかせします、という意ですね。南無は、サンスクリットのナマス、あるいはパーリ語のナモの音写です、意訳すれば、帰依や帰命となります。阿弥陀仏の阿弥陀は、アミターバとアミターユスという二つの言葉からできていまして、アミターバが限りない光、アミターユスが限りない生命という意味です。南無阿弥陀仏は、「この世界に満ち満ちる、限りない光と限りない生命の仏さまにおまかせして生き抜きます」という、自分の生きる姿勢を表す言葉になります。
読み進めていくと宗教がらみの争いが起こるのもよく分かる。池上センセイの他の本も読んでおいた方がよさそうだよね。オススメです。(⌒▽⌒)
BOOK〜『相手に「伝わる」話し方』(池上彰)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20121228
BOOK〜『知らないと恥をかく世界の大問題2』(池上彰)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20121223
BOOK〜『知らないと恥をかく世界の大問題』(池上彰)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20121216