「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『記憶喪失になったぼくが見た世界』(坪倉優介)

この本はスゴい!(@_@。 すでに今年読んだ本のベスト3に入ることは間違いないだろう。

交通事故で記憶を失った18歳の美大生。家族や自身のことだけでなく、食べる、眠るという感覚さえ分からなくなった状態から、徐々に周囲を理解し「新しい自分」を生き始め、草木染職人として独立するまでを綴った感動のノンフィクション」なのだ。その衝撃的な内容のエッセンスを紹介しよう。



目のまえにある物は、はじめて見る物ばかり、なにかが、ぼくをひっぱった。ひっぱられて、しばらくあるく。すると、おされてやわらかい物にすわらされる。ぱたん、ぱたんと音がする。いろんな物が見えるけれど、それがなんなのか、わからない。だからそのまま、やわらかい物の上にすわっていると、とつぜん動き出した。


いままで見たこともない人が、家にきて、事故まえのぼくのことを話して、かえっていく。どうしてあの人たちは、ぼくのことを知っているのだろう。いつも家の中にいる人にきくと、「それは友だちだから」と言った。それに、友だちでも、とくべつなかがいい人のことを、親友ということもおしえてくれた。だとしたら、この人たちも、いつもやさしくしてくれるから親友なのだろうか。そうきくと笑って、「アルバムをもってきてやれ」と言った。目のまえに置かれた物の中には、うすっぺらな人がいる。動かないし、なにも話さない。ひとりの人がアルバムを見ながら、「これが赤ちゃんだったころのゆうすけよ」と言う。でも、赤ちゃんと言われても、わからない。アルバムをめくりながら、「これが三歳のころ、これが五歳のころのゆうすけ」と説明してくれる。よく見ていると、ゆうすけと言われるものの形がどんどんかわっていく


「これがかあさん、そしてかあさんに抱かれているのは赤ちゃんだったゆうすけよ」と言った。その人の目や、笑う口の形はやさしくて、いつもゆうすけという人を見つめている、その人の目は、いまここにいる人と同じではないか。そう思うと、なにかが背筋を通っていく。それを声に出したい。だけどなんて言えばいいんだ。するとその人は、やさしく笑いながら「かあさんだよ」と言った。それをきくと、ひっかかっていたものが、なくなっていく、胸があつくなる。そして口がかってに動いた、かあさん。ぼくのかあさん



・そうなのか、あのぴかぴか光る物のことを「ごはん」というんだ。それに口の中で、こういうふうになることを「おいしい」というのか。


道路を歩いていると、いきなりすごい速さで、なにかが通りすぎていった。あの大きな丸いやつはなんだ。かあさんが「あれは自転車よ」と教えてくれた。歩くよりだんぜん速い。人は、まるい物の上に乗っても歩くのか。たいしたものだ。


自動販売機でジュースでも買っていこう」と言う。自動販売機。ジュース。意味がわからなくて、またぼーっとしていた。するとどこからかキラキラ光るものをとり出すと、ぼくは目の前で、大きなハコにある細い穴の中へすてた。いきなりたくさんの光がつく。光のひとつをおした。すると、箱の下のほうで、「ぱこん」「じゃーっ」という音がする。音が止まると、その人は小さなとびらをあけて中から何かを出した、それはなんだと聞くと、「これはジュースだ」と言う。のぞいてみると色のついた水が入っていた。色がないものは水と言い、色がつくとジュースというのか。それを口の中にいれて、のみこむと、ノドがいたい。でもおいしかった。これがジュースというものなのか。大きなハコ(自動販売機)も、色がついた水も、ぼくと同じ人間が作ったのかと聞くと、そうだと言う。人間というのは、かなりすごいのではないか


・友だちが「ゆうすけ、ノートはちゃんととているのか」と聞いてくる。ノートって何だろう。じっとしていると、友だちが、ノートと書く物をかしてくれた。そして前のほうを指して、「黒板に書かれた字をうつすんだ」という。その意味がよくわからないけれど、指したところには、いろいろな形があった。それと同じ物を書く。みんながやっていることなのだから、ぼくもできるようにならなければいけないんだ。前に立つ人は、いろいろな形をうまく書いていく。みんなもすぐに同じことをする。ぼくも同じように手を動かしてみるけれど、うまく同じ形が書けない。どうしてぼくにはできないのだろう。動け、動いてくれ。細長い物をもつ手に力が入る。みんなのように早く書けないけれど、それでもいくつかはうつすことができた。もうひとつ書いてみようと細長いものを動かそうとした瞬間、前にいた人が書いた物をぜんぶ消してしまった。どうしてせっかく書いた物を消してしまうのだろう。


母親の手記


生活するうえで必要な感覚をどう表現したらいいのか、わからない。「心地よいもの」「不快なもの」ということを言葉え伝えることができない。お風呂にしても、「熱い」「冷たい」がわからない。だから浴槽の水が冷たくても、おかしいと思わずに入ってしまうのです。あとで見るとぶるぶる震えていて。食事でも出されただけ食べてしまう。満腹ということがわからないのです。


・あらゆることに疑問を感じて、考え込むようになります、「どうして人間はご飯を三回食べるの、どうして人間は昆虫より偉いとわかるの、どうして人間は夜になると眠るの?」どうしてどうしての連発です。時間の感覚もありませんでした。いったん何かが気になると、夜でも昼でも関係ありません。真夜中、寝ている私の布団のそばに座って、一晩中質問ぜめにすることもありました。そのとき、「優介、もう寝よう」と言うと、「今聞きたいし、ぼくにはかあさんしか頼る人がいないのに」と悲しい顔をします。


記憶を失くすということは、単に過去を忘れて今を生きるということではないのです。過去を失った人間は、こんなにもろいものかと、優介を見てつくづく思いました。手足を縛られて、どこか知らない国へ連れて行かれて目が覚めたときのことを想像してください。身動きがとれず、わからない言葉はただの雑音にすぎないし、物事の整理がつかず、何をすべきなのか全然わからない。そんな優介の状況を想像できるまで、長い時間が必要でした。


すごいなあ…。どんな詩人でもかなわない表現だよね…。もしかしたら、人間にとって最も大事なものは「記憶」ではないだろうか?当たり前のことが実は奇跡的なことなんだとあらためて分かる一冊。超オススメです。\(◎o◎)/!