- 作者: 東井義雄
- 出版社/メーカー: 致知出版社
- 発売日: 2011/09/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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・一番はじめに、皆さんに紹介したい書物があります。「遺愛集」書いた人は島(秋人)さん。この方は、小学校の時も中学校の時も、勉強の一番できない、つまらない子どもとして、皆からもバカにされ、自分でも自分はつまらん人間と思い込み、少年院を入ったり出たりしている間に、強盗殺人事件を起こし昭和42年に死刑になった方です。
牢の中に入れられ、小学校、中学校を思い出してみても、お褒められたなんていっぺんもない。ただ一人、中学校の美術の先生が、「絵はへたくそだけれども、絵の組み立て、構図はお前のが一番いいぞ」といわれたことが、ただ一度あったのが思い出されました。その先生が懐かしくなって、牢屋の中で先生に手紙を書きました。
「先生はとても僕のことなんか覚えていてくださらないと思いますが、僕は今、死刑囚として最期の日を待つ身の上です。小学校、中学校を思い出してみても誉められたことなんていっぺんもない。ただ一人先生に誉められたことが懐かしく思い出されるだけです。何のとりえもない僕ですが、せめて先生のお言葉を胸の中に大切に最後の日を迎えたいと思います」
そんな手紙を書いたんです。名前も覚えていてもらえないと思っていたのに、先生が返事をくださった。先生の奥さんも手紙をくださった。その中に島さんが育った新潟県の柏崎市のお寺のことなんかを詠んだ歌が詠みたくなり、それから次々に歌が生まれてくるんです。
たすからぬ 生命と思えば一日の 小さなよろこび大切にせむ
たまわりし 処刑日までのいのちなり 心すなおに生きねばならぬ
被害者に わびて死刑を受くべしと 思うに空は青く生きたし
せっかく人間に生まれさせていただきながら、何の役にも立たないで、ただ人を殺して終わるという終わり方が辛かったようです。死刑は覚悟したけれども、何か一つくらい世の中のためになってから殺してほしいな、というのが最後の一番真剣な願いであったようです。この目も目の悪い人にあげることなら、役に立って死ねるぞ。この目を目の悪い方にあげようと考えたんです。ところが、死刑囚の目玉ではもらってくれる人がないかもしれんなぁ。
世のためになり死にたし 死刑囚の眼はもらい手もなきかもしれぬ
私たちには一人一人、この出たり入ったりしている呼吸も、皆さんがしているつもりではない時も。息はしてるでしょう。眠っている時もしとるでしょう。仏様は木に刻んだ仏様ではなくて、皆さん一人ひとりの中に、どうかしっかり生きておくれよ、生きておくれよという願い・働き、それによって皆さんが生きさせていただいている。胸のドキドキも、皆さんが自分を動かしているんじゃないんですね。皆さんが忘れている時も。どうかしっかり生きておくれ、皆さんのために働いてくださっている。牢屋の中で、そんなことに目覚めさせていただいたんです。
そして、いよいよ最期の晩は、夜通し眠らずに、お世話になった方々に、私のようなしょうのない奴を、ご親切にお導きいただいたと感謝の手紙を書き続け、死刑になる直前には、被害者の遺族の方宛に、とても私が死んだからといって、お心が慰むことはないと思いますが、どうか奥様にとうとうあいつも処刑されたぞと報告申し上げください、という遺書を残しました。
最期の日は、拘置所長さんが煙草をくれるといいます。たいていの死刑囚の方は、その一本の煙草をゆっくり、ゆっくり時間をかけて吸うそうですね。しかし、彼は「ひさしぶりに煙草をいただいて、ありがとうございますが、ひさしぶりの煙草によって頭がぼんやりしましては、はじめて生まれさしていただく仏様に対しても申し訳ないし、被害者の方にも申し訳ございませんから、せっかくですが」と、煙草をことわってね、係員の方が感動なさるような足どりで。十三階段を登って最期をとげているんです。彼も、やっぱり人間のクズじゃなかったんです。仏様の願いが、どうかしっかり生きてくれよという願いが働いてくださった。それを牢屋の中で、はじめて目覚めさしていただいたということなんです。
…胸があつくなりました。感動しました。10代だけでなく全ての人に読んでほしい一冊です。オススメです。