「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「死と壁 死刑はかくして執行される」(玉井策郎)

  


死と壁―死刑はかくして執行される


この本は重い……。しかし深い……。「世の中の誰からも、人間らしさや生まれながらの善心を発見されず、ありし日の兇悪な殺人囚として闇に葬られてしまう人達の死刑の判決から死に至るまでの生活や心情を書き収めたもの。法が人を裁くと言っても所詮人が人を裁いている事をもう一度考えてみたい」そのエッセンスを紹介しよう。



・死刑囚がどんなに一日一日を悩み苦しみながら、刑を執行されるその日まで暮らしているかということか。希望のない、死を目前に控えたこの人達の苦痛というものは、一般の方々の想像に絶するものがあるのです。死刑囚には普通の犯罪者のように、その人の間違いを正して、再び社会の仲間入りのできる人として世に送り出すことは出来ません。何故ならば、その時には、もうその人に死が訪れている時ですから……。


・これは私達職員にとっても、実に希望のない寂しいことであることを告白せねばなりませんが、懸命にこの人達を導くことに努力しております。冷ややかな、そして恐怖におののいている死刑囚を、温かい、生命の本当の姿を見出す人間に立返らすために、出来るだけの真実と愛情を捧げて努力しているのです。


・人を殺したような人間が何が可哀想だとおっしゃる方もあると思いますが、それは彼が罪を犯し、犯した直後までの話です。仏の道、神の道にいそしみ、人しれず被害者の霊を慰めながら、自分の運命を達観して、死を通り越した未来に生きようとする修養に懸命になっている死刑囚は、時には私たち以上の清淨な世界に呼吸している人間でもあるのです。


彼らは死に至るまで被告としての特別な処遇を受けております。衣服も自分の着衣が許されており、食事も間食の購入も自由、書信の発受も自由、読書も制限なし、面会数も限定なし。これはもうこの人達は、待っているものは死であり、二度と社会に復帰できない人であるという、残された僅かな人生に対する思いやりと、立派に死にきれる人に仕上げるための最後の教育という立場から遇されるものです。まずは毎日の宗教的指導、俳句会、短歌会、お茶の席、生花の会などです。


罪をおかして刑務所に送られてくる人々を調べてみますと、何といっても家庭環境が悪かった気の毒な人が多く、大半の人は両親がないか或いは片親をなくした人で、両親が健在であっても、子どもの教にかまっていられないような職業に従事しているとか、片親が実父、実母でないとか、非常に貧困で家庭に早くから働きに出されていたとか、一様に冷たい、淋しい環境に育てられて来た人たちばかりでした。


・「所長さんが私にお菓子をすすめお茶までついで下さいました。私は人に親切な言葉を掛けられると、日頃早く死にたい死にたいとは言っていますが、たまらない程の死んでゆく淋しさを感じるのです。もっともっと生きて人の親切に感激していたいと思うのであります。私は自分が与えた親切と義理のためにいつも苦しめられてきたのです。誰も私の一番素直なところをみてくれなかったのです、馬鹿だ、極悪人だといわれても、私も血の通っている人間であります。決して死にたくはありません。死に達どころか、殺される今になっても、もし助かったら、こうして生きてゆきたいという希望さえもっています」


……死刑囚たちの生々しさと刑務所職員さんのいたわりに驚かされる……。死刑制度について、死刑囚について考えされられる。オススメです。(・o・)


  


死と壁―死刑はかくして執行される