以前、巣鴨プリズンの教誨師だった花山信勝氏。そのとき初めて「教誨師」というコトバを知りました。
- 作者:花山 信勝
- メディア: 単行本
さてこの本。人生の大先輩の経営者から勧められました。
「半世紀にわたり、死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち会い続けた教誨師・渡邉普相。「わしが死んでから世に出して下さいの」という約束のもと、初めて語られた死刑の現場とは? 死刑制度が持つ矛盾と苦しみを一身に背負って生きた僧侶の人生を通して、死刑の内実を描いた問題作!第1回城山三郎賞受賞」そのエッセンスを紹介しよう。
・港区三田の丘の上の浄土真宗の綱生山當光寺( こうしょうざんとうこうじ)。この寺の第三十世住職が、 昭和六年生まれの渡邉普相(ふそう)である。東京拘置所の古い「 教誨師名簿」の僧侶の中でひとりだけ存命の人が渡邉だった。 話を聞かせてもらえないかと寺を訪ねた時、彼は78歳。 驚いたことに教誨師の仕事は今も現役で続けているという。 着任したのが28歳。ちょうど半世紀だ。
・死刑囚は死刑判決が確定すると、 面会や手紙など外部とのやりとりを厳しく制限され、 死刑が執行されるまでの日々のほとんどを拘置所の独房でひとり過 ごす。教誨師は、そんな死刑囚たちと唯一、 自由に面会することを許された民間人だ。 間近に処刑される運命を背負った死刑囚と対話を重ね、 最後はその死刑執行の現場にも立ち会うという役回り。 それも一銭の報酬も支払われないボランティアだという。 渡邉ほど長いキャリアはいないし、今後も現れないだろう。 理由はその任務の過酷さである。 身体よりも心がもたなくなる者が多いという。 そんな務めをなぜ半世紀も続けているのか、 いや続けることができたのか。 そして死刑執行の現場という社会から完全に隔絶された空間で、 彼がその目で見てきたこと、宗教者としてやってきたこと、 そして半世紀を経て自身の職務についてどう考えているのか。
・半世紀にわたる死刑囚教誨、そして、 死刑制度が持つ苦しみと矛盾を一身に背負ってきた人生。 心の奥底から絞り出された言葉は、いずれ必ず自らの「死」 に向き合うことになる私たちひとりひとりに投げかけられた問いへ と重なっていく。「死刑」とは、一体何なのか。 これから記すのは、ひとりの僧侶の目に映った「生と死」である。
・「これは前世の因縁です。たとえ無実の罪があっても、 先祖の悪業の因縁で、無実の罪で苦しむことになっている。 その因縁を甘んじて受け入れることが、 仏の意図に沿うことになる」
・「人間はみな死刑囚だ。皆いつかは死ぬ。 残された時間を大切にするしかないではないか」
・「渡邉先生には本当にお世話になりました。先生、私の部屋に『 仏説阿弥陀経』の写経が何十も溜まっております。 集合教誨の度に写本が足りぬと仰っておられましたから、 この春からずっと作っておきました。 どうかみんなのために使ってやってください」
・「先生?私の身体で手術の練習をした若いお医者様が、将来、 誰か病気の人の命を救ったとしたら、 私も人の役荷なったということになりますか? 私の目が誰かに使われて、その人が幸せになったら、 私の罪は少しでも許されますか?」
実に深い……。教誨師さえ、お経が読めなくなるくらいの落涙……。これは多くの人に読んで欲しいな…。静かな感動。超オススメです。(T_T)