最近、ハマっている永山則夫関連の本。 そして堀川惠子さんの著作。死について、死刑制度について考えさせられる……。
「永山基準」として名を留める、十九歳の連続射殺犯・永山則夫。本書は、彼が遺した一万五千通に上る膨大な書簡から、その凄惨な生いたちと、獄中結婚した妻との出会いにより、はじめて「生きたい」と願うようになる心の軌跡を浮かび上がらせる。永山基準の虚構を暴く、圧巻の講談社ノンフィクション賞受賞作」そのエッセンスを紹介しよう。
・本書は、これまで死刑判決が下される度に、“死刑の基準” として引用されてきた。いわゆる「永山基準」 が生まれた背景について取り上げるものである。 この言葉は近い将来、 死刑事件を裁く裁判員裁判の審理の中でも取り上げられることにな るだろう。「永山基準」とは、 四人を殺害した罪で1997年に処刑された死刑囚・ 永山則夫の裁判の判決から生まれたものである。「永山基準」 が生まれた背景には、一人の死刑囚をめぐって、 裁く側と裁かれる側それぞれに、 言葉には言い尽くせないほどの苦悩と思い決断があった。そして「 永山基準」そのものも、 運用されていくうちに本来の意図から乖離し、変節を遂げてきた。 本書は、それら永山裁判の知られざる背景を、 未公開の資料やはじめて重い口を開いてくれた裁いた側の貴重な証 言などからたどっていく。
・今回、私が目を通した1万5千通の書簡には、 過去に公にされてきた刊行物には見られない、永山の“ 生きた言葉”が溢れていた。永山は、 二つの言葉を使い分けて生きていた。社会を糾弾するための“ たたかう言葉”そして、自分自身の本音を語る“生きた言葉” である。
・一度も触れられなかった父親への愛、 手を伸ばしても届かなかった母の愛、そして兄姉たちの乖離ー。 永山は家族への憎しみを募らせる一方で、 いつも愛されることを求め、愛に飢えていた。
・櫛淵元裁判官は面会の最後に、和美さんにこういった。「 私たちはね、あなたに、あなたと永山さんに、1% の可能性を見たんです。それに賭けて、あの判決を下したんです」 しかし、「無期判決」がもたらした波紋は、その後、 徐々に大きな波となっていく。永山と和美さんを、そして、 判決を書いた船田三雄裁判長をものみ込んで、 彼らの手の届かぬ場所で、姿を変えてゆくことになる。
・「死刑の基準」とは何かー。この問いを抱え、 そして永山則夫という一人の死刑囚の足跡を辿ってきた私が行き着 いた答えは、「人を処刑する画一的な基準はありえない」 という一言に尽きる。基準がないとすれば、どうやって人を裁き、 死刑を下せばいいのかと問われるだろう。人が人を裁くこと、 それは言葉で言うほど容易なことではない。裁き、 そして殺すという判断を下すのであれば、なおのことである。 それでも、人が人を裁くのであれば、それは、 犯行の周辺だけではなく、被告人の内面までも深く見つめ、 その生い立ち、たどってきた人生、更生の余地に至るまで、 あらゆる過去、現在、 そして人間としての可能性を探ることではないか。それは同時に、 裁く側のこころの根底にある倫理観、死生観、 そして生き様までをも厳しく問い直し、 剥き出しにする作業となろう。そこに基準などありえない、 と私は思う。法定という限られた空間の中で、 限られた短い時間に、果たしてそれは可能なのかー。答えは、 否である。しかし、それを承知のうえで、プロの裁判官も、 私たち市民裁判員も、 被告人を裁くという場に臨まなくてはならないのだ。
・裁判員時代を迎えた今、「死刑の基準」とは何かという問いは、 私たち一人ひとりにむけられたものでもある。 これに対する私たちの意思、その結果が、 厳罰化に拍車をかけることになるのか。 それとも立ち止まって考えることになるのか、 あるいは死刑廃止へと向かうのか。それはまだ、 誰にも分からない。「死刑」という究極の刑に対して、 私たちの正義と英知、そして人間性が、今まさに問われている。
・山口県光市母子殺害事件の被告人の元少年。「 僕はあの事件でとんでもないことをしてしまいました。 どんなに後悔しても、取り返しのつかないことをしました。 だから僕に、こんなことをいう権利がるのかどうかも分からない… …。 今の僕の立場で短い言葉で伝えるような軽率なことは本当は許され ないかもしれない……。言いにくいけど…… また世間の人たちに誤解されたら怖いけど……。でも……、僕は、 生きたいと思っている」
「生きたいか、死にたいかといわれたら、確かに生きたいと思う。 でも、生きて償うって、償うって、どうすればいいのだろうか…… 。とりかえしのつかないことをしてしまった僕が、 どうすれば償いができるのだろうか……。 二人の命はもう返らない……。 僕に一体どんな償いができるのだろうか……」
彼も苦しんでいるー。それは、 数々の報道の向こうにやっと見えた、 私が自分の目と耳で確認した彼の姿だった。少なくとも、 目の前で苦渋の表情を見せた元少年は、報道されたような“悪魔” ではなかった。大きな過ちを犯した、一人の人間であった。 それは、かつて永山則夫が“連続射殺魔”と呼ばれたのと重なる。
性善説と性悪説があるけど、やっぱり性善説を取りたいよね…。社会や倫理、道徳の教科書にしたい本。超オススメです!(・∀・)