ワタシが読書するにあたって気になる作家がいれば「全作品を読む」ことをやっている。「死刑」をテーマに数々の感動作を世に出している著者の堀川惠子さんもそうだ。
この本も良かった…感動した…考えさせられた…。
「1966年、強盗殺人の容疑で逮捕された22歳の長谷川武は、さしたる弁明もせず、半年後に死刑判決を受けた。独房から長谷川は、死刑を求刑した担当検事に手紙を送る。それは検事の心を激しく揺さぶるものだった。果たして死刑求刑は正しかったのか。人が人を裁くことの意味を問う新潮ドキュメント賞受賞作」そのエッセンスを紹介しよう。
・元最高裁検察庁検事、土本武司が悩んでいた。「彼は、 どうしてこれを書く気になったかね……。この手紙の主はね、 もう何十年も前に処刑されているんですよ。一審から最高裁まで、 すべて死刑判決でしてね、 その最初の一審で死刑を求刑した検事が私だったんです。 つまり彼は、 自分を死刑に追い込んだ検事である私に手紙を書いたということに なる。しかも最後の手紙は、 処刑される前夜に書かれているんですよ……」
・恨み言ではなく「御指導それに御心配して頂き」とか「 幾重にもお大事に」とは理解に苦しむ。 土本にとって長谷川に向き合うことは「死刑」を求刑し、 そしてひとりの人間を処刑台に送り込んだ自分自身に向き合うこと なのかもしれない。「長谷川君がどんなに人物で、 どうして手紙を書いてきたのか、もっと調べてみませんか」
・「こうやって徹底的に調査を始めていくと、 良いことばかりかと言うとそうでもないみたいだな。 知ってはいけないこと、 知らなくてもいいことを知らされてしまうというか。 世の中というのはそういうもんなのかね。 すべてのことを知るのは良いことかというと、 決してそうではない…」
・逮捕されるまでは自分の名前すら書いたことがなく、 手紙を書くこと自体が大変な心労だ、という長谷川。 死刑判決が確定したことで長谷川武の物語は終わらない。 この時から処刑され日まで三年半あまりー。 長谷川武は死刑囚として独房に身を置き「生」と「死」そして「 母」に向き合いながら手紙を書き続けた。彼が「第三の人生」 で書き綴った手紙、そして彼を取り巻いた者たちの人生は、 さらに多くの物語を生んでいく。
・「更生の見込みはない」と断じられた長谷川武。その長谷川が、 なぜか捜査検事として取り調べた自分に感謝しているという。 あの時、話だけは聞いてやろうと耳を傾けたこと、 たったそれだけのことに彼は感謝しているというのか。彼を「 絞首刑」に追い込んだのは捜査検事である自分だった。
・土本。「それまで私が自分の人生の中で接してきた家族や親友、 あらゆる人の中で、 ここまで私の心を揺さぶった人間は一人もいなかった……。 手紙の淡々とした表現の中に、深い自分の過去に対する思い、 これ以上ない重いもの、暗いもの、 つまりもう死刑判決が出たんだから本当はあきらめの境地に入らな きゃいけない。 だが彼の中には依然としてどこかで生に対する執着というものがあ る。この長谷川という人間を今、社会に戻せば、 再び重大な凶悪事件を犯す恐れというのは一点だにないと私は思っ たのです」
・「 勝ち目のないぼくに全力を傾け弁護活動にあたって頂いたこと、 生涯忘れません」生涯忘れませんという言葉。 彼にとっての短い生涯は、間もなく終わろうとしていた。 長谷川はやっと繋がった母親への絶ち難い思いを抱え、 自らの死でもってしても償いようのない罪を背負い、 処刑の日を迎える恐怖と無念に向き合っていた。
・昭和46年11月8日(土本への9通目)
検事さん、逝く時が来ました。
検事さんには 長い間 ご心配掛けました
残念ながら時間がありませんので一言だけのご挨拶だけにとどめま す。
検事さんの、あの暖かいまなざしは、最後の最後まで忘れません。
それでは これで 失礼します 46。.11.8 減燈後
・戦前そして戦後と時代の波にもまれ、 それでも必死に生きぬこうとした母親、 戦争で片足を奪われて酒に走り短い生涯を閉じた父親、 位牌になった家族を抱えて放浪した茂、 そして独房で罪と罰に向き合い、処刑台に消えた武ー。 こうやって取材をすることさえなければ、 もう誰も思い出すこともなく消えていくはずだったひとつの家族の 歴史を、ただ一人生き残った弟は受け止めてくれた。
永山則夫もそうだったけど、一人の人間のドラマと歴史、家族にはそれぞれのストーリーがあるんだね…。この本に出会えて良かったです。超オススメです。(・∀・)♪