「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『懐かしのホーロー看板』(佐溝力)

懐かしのホーロー看板―広告から見える明治・大正・昭和

懐かしのホーロー看板―広告から見える明治・大正・昭和

私の世代以上の方にはおなじみのレトロなホーロー看板。(^。^) 有名なのは松山容子ボンカレー大村崑オロナミンC水原弘のハイアースや由美かおるのアース渦巻だよね。

この本は懐かしさがいっぱい!本書は、ホーロー看板収集家でもあり、自宅に琺瑯看板研究所」を開いている佐溝力氏。明治から大正期、昭和初期から戦中、戦後から昭和中期と区分し、その時代を象徴するホーロー看板について解説し、それぞれの時代の庶民の暮らしを思い描き、現代までの過程が書かれている。古き時代を感じるなあ。そのエッセンスを紹介しよう。


一枚のホーロー(琺瑯)看板に様々な歴史や人間模様があることがわかり、またその奥深さに驚嘆しました。ホーロー看板に魅せられた私はますます収集に拍車がかかり、最初の一枚を手に入れてからすでに30年以上が経つ今では、その数は6000枚以上になりました。ホーロー看板が誘う、懐かしいあの頃へとお出かけください。


ホーロー看板は、明治21年〜22年に誕生したと言われています。主に屋外の掲示用として光沢のある塗装や印刷で仕上げられた鉄製看板のことです。明治・大正・昭和の初期・中期の広告としてホーロー看板が主流になる背景には、現代と違いマスコミによる広告手法が一般的ではなかったため、今で言う広告代理店を通さずに、その商品のセールスマンや看板取り付け業者が設置していったと言われています。広告料はとらずに現物支給が対価の謝礼であったようです。


・そんな一時代を席巻したホーロー看板も、残念ながら昭和50年代になると終焉に向かいます。新商品の生まれるサイクルが早くなってきたことや住宅事情で貼る場所がなくなったこと。そして最大の理由は新聞やテレビなどのメディアが、ホーロー看板にとって代わったことです。



ロート製薬明治32年に大阪で創業した信天堂山田安民薬房がその源流。



森下南陽堂(現・森下仁丹の大礼服の男は、軍人ではなくて「薬の外交官」



水野甘苦堂(現・ホーユービゲン昭和32年発売。



昭和20年代にはちょっとした贈り物や、労をねぎらう気持ちをこめて渡す品物としてたばこを用いた。国民的嗜好品だったのだ。



第一次世界大戦の勃発によって起こった好景気により、ソースの製造業者が増加。



わかもと製薬昭和4年創業。若さの素を作る新栄養剤「若素」として販売される。第二次世界大戦中は軍の常備薬として兵士たちの健康管理にも役立てられていたのだとか。知らなかった!(+o+)



競合ブランドの増加に伴い、多彩になったカレー看板



昔はどこの家でも必ずあったよね、オロナイン。



すごいキャッチコピーだね。(^。^) いいなあ。愛知県の資料館に行ってみたい!オススメです。(^^♪


サミゾチカラコレクション
看板と広告の資料館・琺瑯看板研究所
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