「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『現代語訳 武士道』(新渡戸稲造)

現代語訳 武士道 (ちくま新書)

現代語訳 武士道 (ちくま新書)

五千円札でお馴染みの新渡戸稲造。お恥ずかしながら、お札になるまではお名前を存じ上げなかった。(^^ゞ

略歴によると、「1862年南部藩士の子として生まれる。札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力。辞任後は貴族院議員などを務め、33年逝去 」とある。

この本、「武士道」はずっと前から読みたかった本。現代語訳なので読みやすい。「日本人は、宗教なしに道徳をどう学ぶのか?」こうした外国人の疑問を受け英文で書かれた本書は、世界的ベストセラーとなった。私たちの道徳観を支えている「武士道」の源泉を、神道、仏教、儒教のなかに探り、欧米思想との比較によってそれが普遍性をもつ思想であることを鮮やかに示す。「武士道」の本質をなす義、仁、礼、信、名誉などの美徳は、日本人の心から永久に失われてしまったのか?日本文化論の嚆矢たる一冊を、第一人者による清新かつ平明な現代語訳と解説で甦らせる。そのエッセンスを紹介しよう。



武士道は、武士が守るよう要求され、また教えられた道徳の掟である。それは文字に書かれた掟ではない。せいぜい口伝によって受け継がれたものだったり、有名な武士や学者が書いたいくつかの格言によって成り立っているものである。武士道は語れれず、書かれてもいない掟でありながら。それだけにいっそう武士たちの内面に刻み込まれ、強い行動規範として彼らを拘束した。数十年、数百年におよぶ武士たちの生き方から自然に発達してきたものである。


私たちにとって国とは、金を掘る土地や、穀物を収穫する耕地以上のものである。そこは、神々、すなわち私たちの祖先の霊がすむ神聖な場所である。私たちにとて天皇とは、単に法治国家の主権者や、文化国家の擁護者以上の存在である。天皇は、彼の人格の中に天の力と慈悲を帯びる。地上における生きた天の神の代理人なのである。


本当に勇敢な人は、常に平静である。彼は決して驚いて狼狽せず、何ものも彼の精神の落ち着きを乱さない。激しい戦闘のさなかにあっても、彼は冷静であり、大事変に際しても心の落着きを保つ。地震も波も震わさないし、嵐を見て彼は笑う。危険や死の脅威に直面しても平静を失わない者、たとえば差し迫る危険のなかにあって詩を詠み、死に直面して歌をくちずさむことができる者を、真に偉大な人物として、私たちは賞賛する。その筆蹟や声がふだんと変わらないことは、心が大きいことのなによりの証明である。私たちは、「余裕」と呼ぶ。それは、押し潰されず、混乱せず、さらに多くの物を受け入れられる余地のある心である。


・礼は、また物の道理を正しく尊重すること、それゆえ社会的地位に対し相応の経緯を払うことを意味する。社会的地位は、金銭的な貧富の差を示しているのではなく、本来、実際の価値にもとづいた差があることを示しているからである。礼は、最高の形においてはほとんど愛に近づく。最も有名な小笠原流は、「すべての礼儀作法の目的は、心を修練することにある。心静かに端座すれば、殺人者が剣を持って向かっても、危害を加えることができない」と。言い換えれば、正しい礼儀作法をたえず修練すれば、身体のあらゆる部分、あらゆる機能に完全な秩序がもたらされるようになり、身体そのものとそれを取り巻く環境tごが調和し、肉体を精神が統御するようになる、ということである。


・武士道の骨組みを支えた三つの足は、「智」「仁」「勇」、すなわち、叡智、仁愛、勇気であると言われた。サムライは、本質的に行動の人であった


…深い…。これは何度も反復したい本だ。日本人で生まれてよかった!オススメです。(^^♪