「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜懐かしいなあ…!…『昭和ノスタルジック百貨店』

昭和ノスタルジック百貨店

昭和ノスタルジック百貨店

今年、年男、昭和39年新潟生まれの私が、小田原に移り住んだのが昭和45年。日本が高度経済成長の真っ最中だった。当時小田原駅前は、箱根登山デパート、ニチイ、などたくさんのデパートがあったが一番好きだったのが「志澤」。 小田原市民はみんな知っているよね。
後に、西武百貨店志澤店になり、今は「万葉の湯」となっている。(^。^) 


あの頃のデパート、百貨店の記憶はキラキラ輝いている。母に連れられていったあの頃。半ズボンにジャイアンツのキャップをかぶってたっけ。お好み食堂が楽しみだったなあ…そうそうエレベーターやエスカレーターに初めて乗ったのもここだったよね。(^。^)


さてこの本は、涙ちょちぎれるよ〜!(ToT) 日本が、百貨店全盛だったあの頃の貴重なエピソード、包装紙やポスター、写真が満載。


取り上げられているのは、現存しているのでは、新宿三越伊勢丹新宿本店・日本橋高島屋松屋銀座松坂屋銀座店・大阪高島屋名鉄百貨店本店・大丸大阪 心斎橋店・松坂屋名古屋店・東急東横店・天満屋岡山本店・そごう横浜店・井筒屋小倉本店・西武池袋本店松坂屋上野店・京王百貨店新宿本店・小田急百貨店新宿本店・リウボウ。


第二部では、思い出の中に消えた、いまはなき百貨店が掲載されている。


大阪三越横浜松坂屋・西武有楽町店・東急百貨店日本橋店・一宮名鉄百貨店伊勢丹吉祥寺店・小綱屋・西武札幌店・丸新百貨店・江ノ電百貨店・オリエンタル中村百貨店・まるみつ百貨店・大牟田松屋福岡玉屋マルビシ百貨店・松菱百貨店・丸丹おかむら・アキハバラデパート


そのエッセンスを紹介しよう。


大坂商人近江商人と並んで日本三大商人といわれる「伊勢商人」の代表格、三井家。その基礎を築いた「八郎兵衛」こと三井高利が、呉服店越後屋」を開業したのが1673年(延宝元年)当時は間口わずか9尺(2.7m)というからごくごく小さな店舗でしかなかった。屋号が三越となったのは1904年(明治37年)、日比翁助が初代専務となり、それまでの「合名会社三井呉服店」から、三井の「三」と越後屋「越」を合わせた三越呉服店に商号を変更した。国内デパートの始まりだ。


伊勢丹のルーツは1886年明治19年)「伊勢屋丹治呉服店」だが、これは関東大大震災による火災で焼失した。そして翌年の再建時に、呉服屋から百貨店への転身を図る。1933年(昭和8年)にはスケートリンクも設置されていた。戦時中、空襲の被害は免れたものの、進駐軍の宿舎や娯楽室、劇場としても使われた。


日本橋高島屋屋上に象がいた!?この当時、象は上野動物園にもいなかった「高子」、大阪高島屋には、1952年、屋上で乳牛と豚を放牧。乳しぼりの実演をした!?


・お子様ランチのルーツは、1930年(昭和5年日本橋三越の食堂部で主任をしていた安藤太郎がその考案者。この当時、世界恐慌の波は日本にも押し寄せていた。「不景気で明るい話が少ない世の中で、せめて子ども達には夢をもたせてあげたい」という思いがお子様ランチの誕生につながったといわれる。「御子様洋食」と名付けられた。「お子様ランチ」の名前は1931年(昭和6年)上野松坂屋が初めて採用。30銭(現在の1000円〜1200円程度)というからなかなか高価な値付けだった。


その他、沖縄の「リウボウ」は、「琉球貿易商事の略」、2006年に閉店した秋葉原名物のアキハバラデパートは、特に懐かしい!モノクロ写真っていいよね〜!オススメです。(^。^)