「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜大行列をつくる秘訣…『ラーメン二郎にまなぶ経営学』

ラーメン二郎にまなぶ経営学 ―大行列をつくる26(ジロー)の秘訣

ラーメン二郎にまなぶ経営学 ―大行列をつくる26(ジロー)の秘訣

ラーメン好きの私が最も好きなラーメンが、ココ、ラーメン二郎 京急川崎店」だ!(^^♪ 味、ボリューム、個性、満足度、インパクト…すべてにおいてのナンバーワンだ!万人受けする味じゃないけどね。


GOURMET〜『マイ・キング・オブ・ラーメン 二郎 京急川崎店2』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100323


そしてその本店がここだ。二郎の聖地!

GOURMET〜二郎の聖地…『ラーメン二郎三田本店
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20110223


私のように二郎に夢中になってりる中毒者(?)をジロリアンと呼ぶ!その二郎は、宣伝なしで、なぜオープン初日から大行列なのか?なぜジロリアンは、身も心も二郎に魅了されるのか?セグメンテーションとターゲティング、ポジショニング、コア・バリュー、消費者行動の進化・・・・・・ラーメン二郎から経営学の基本がわかる! そのエッセンスを紹介しよう。


・二郎のメニューは少ない。基本的には「大」か「小」だけだ。炒飯もなければ、餃子もない。でも、それだけで大行列をつくることができる。二郎には、二郎という「製品」に確固たる自信が感じられ、信念が感じられる。自信と信念があるから、ぶれない。多くの日本企業は二郎に学ぶべきだ。


二郎の行列はおおむね週末の東京ディズニーランドの人気アトラクションと同様の待ち時間であるといえる。なぜ、ここまで二郎には大行列ができるのだろう?それは、二郎を食べたいと思う人たちの数が、二郎の提供杯数よりも多いからである。 〜略〜


・二郎、東京ディズニーランド東池袋大勝軒に共通することがある。それは、1 限定性 2 ストーリー だ。 〜略〜


・なぜ、顧客は二郎に行列するのか?なぜ二時間も行列してまで、二郎でないといけないのだろうか?よく「二郎はラーメンではない。二郎は二郎という食べ物である」といわれるが、その意味するとことは何なのか?本当はラーメンではないのか? 〜略〜


・二郎に行列しているジロリアンを分析すると、食べているときも寡黙だし、行列しているときも寡黙である。なぜなのか?トッピングコールは、ゴングの瞬間だ。いよいよ、二郎と対峙し勝負が始まる。「大豚W」を前にし、食べても、食べても麺が減らないことがある。でも、ここであきらめてはいけない。単調だが一定のリズムで麺を啜り、豚をやっつける。次第に、周囲の音が聞こえなくなる。集中力が高まっている証拠だ。汗が額から落ちる。次第に自分の限界が見えてくる。ここからが目の前の二郎との本当の勝負である。二郎の麺は重いので。右腕が疲れてくる。体を動かし、胃を揺らしてスペースを作る。咀嚼は、もはや運動のレベルまで来ている。噛む。飲み込む。噛む。飲み込む。そして、スープを麺からすくおうとしても、とうとう腕に重さを感じない瞬間が来る。二郎に、そしていままでの自分に買った瞬間だ。思わずグッとこみ上げるものがある。胸にも、胃からも。「俺は勝った!二郎に勝った。自分にも勝った。自分を信じきった。まだ、俺はやれる!俺にはポテンシャルがある!俺は強い!」残った力を振り絞り、丼をカウンターに上げ、テーブルを吹き、席を立つ。そこには、達成感と爽快感が残る。他のどのラーメンを食べて、このような達成感と爽快感を感じることができるだろうか。これが二郎だけに存在する、唯一無二の提供価値のひとつである


・二郎、武蔵、一風堂などの名店は、1 既存のラーメンの定義にとらわれない。満足しない。 2 自ら信念を持った「尖がり」がある。 3 顧客の声を聞くのではなく、自ら顧客に「尖がり」をぶつける、ということだ。

なぜ二郎は駅前にないのか?35店舗中13店舗が徒歩10分超に立地をする。商売の原則からすれば立地条件は必ずしもよくない。にもかかわらず二郎には行列ができる。なぜなのだろうか。それは、ジロリアンにとっての二郎の魅力は立地条件の悪さを上回るからである。ジロリアンにとって二郎を代替できるものは存在しない。だから、駅から少々遠かろうとジロリアンは二郎を求めて、歩くのである


・なぜ二郎では、お客が丼を上げ、カウンターを拭くのか?二郎を食べるという行為は、自分自身に対する挑戦であり、自分を見つめなおす修行である。武道でもそうだが、修行の場である同情を汚すことは決してない。武道は「礼に始まり礼に終わる」。修行のために使わせてもらった道場に感謝の気持ちを込めて清掃する。これも武道修行の一環だ。

二郎も同様である。二郎で修行を終えたジロリアンは、心を清める気持ちも込め、丼を上げた後はカウンターを雑巾で拭く。これにより心が清められ、店主に挨拶をする心の準備ができる。カウンターを拭いた雑巾を再び元の位置にもどしながら、「ごちそうさん」というとオペレーションに忙しい店主が、横目で軽く会釈をする。これが修行の終わりを意味する儀式だ。


・なぜ、35店舗それぞれ微妙に味が違うのだろうか。それは、二郎店主に裁量があるからだ。裁量があるが故に。店主は「自分の信じる最高の二郎」を作り続けるフランチャイズなどのマニュアルはない。自分の信念で二郎を作るのだ。だから、店によって麺の太さも違うし、茹で加減も違う。スープも豚も違う。


ああ〜しばらく食べてないなあ!二郎したくなった〜!おススメよ。(^^♪