「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『ろんだいえん 21世紀落語論』(三遊亭円丈)

ろんだいえん―21世紀落語論

ろんだいえん―21世紀落語論

年末年始になるとお笑い番組が多いよね。(^^♪ やっぱり私たちの生活の中には笑いというのが溶け込んでいるよね。その中でも400年以上の歴史があるといわれている落語。見る落語もいいけど、読む落語もいいよ。このブログでも何冊か紹介したよね。


BOOK〜談志最後の三部作第二弾…『世間はやかん』(立川談志
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20101017

BOOK〜『落語家はなぜ噺を忘れないのか』(柳家花緑
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20090314


この本は新作落語を得意とする三遊亭円丈師匠が書いた落語論。その昔、金鳥マットのCMで阪神掛布雅之といっしょに「カッ、カッ、カッ、カッ、カケフさん!」で出演していたといえば、思い出す人も多いだろう。


「ろんだいえん」とは、円丈師匠が落語を「論じ」「台本を書き」「演ず」の略。理論と現状分析、新作落語の作り方、そして落語の演じ方まで円丈の落語理論そのもの。現在円丈は64歳。たとえ30年後に死んでも基本的な円丈の落語論は変わらないから、ここに書いてあることが落語家円丈の遺言になる!そのエッセンスを紹介しよう。


・今、落語以外のお笑いではたいてい自分でネタとギャグを作るのが、お笑い界のギャグ・スタンダードの時代なんだ。なのになぜ落語家だけがギャグを考えなくていいのか信じられない。演ずるしか能のない連中が、一番偉そうにしている今の落語界って訳が分からない。しかもそのままやってる古典は現実に寄席ではウケていない。そんなのありえねえよ。


・アキバは一番古いパーツ屋のアキバを抱えつつ、同時にダイナミックに変化し続けるオタクの街でもある。落語界もラジオ・パーツのような古い古典を残しつつ、新しい新作落語がどんんどん変わりつつ、古典と同居して共存するようにすれば、それこそ落語界がクール!今の落語界は、一昔前のシャッター通り商店街みたいに、狭い商店街に、今時、必要もない呉服屋が七軒あるようなものだ。


古典落語新作落語もまず大衆芸能なんだ。大衆芸能とは何かといえば、「今」の大衆から支持されてる芸能が「大衆芸能」ってことだ。「今」の大衆から支持されたといえば、それはその芸能に「今」があるかどうかなんだ。


・ギャグの作り方とその種類

「お母さん、アメリカって遠いの?」「黙って泳ぎなさい」

「葬式」と掛けまして、「ウグイス」と解く、その心は「泣く泣く(鳴く鳴く)うめ(梅に)に行く」

北朝鮮」と掛けまして、「狩人が鹿を撃ったとき」と解く、その心は「てっぽうドン」


・IF法 「もし〜ならば」コレで落語が作れる


良いネタは「感動」から生まれる

感動こそが心の栄養だ。感動しない人間にどうして他人を感動させることができるだろう。笑わない人間にどうして他人を笑わせるギャグができるだろうか?もちろん、ほとんど感情を出さないキャラとして笑わせることはできるだろうが、ネタを作って笑わせることはできない、だから泣いたことのない人にどうして悲劇が書けるのか?まず自分が感動することだ。感動できるってことは、自分の感情の感覚器官が正常に働いているということだ。逆に何も感動できないってことは、感性の感覚器官がサビ付いて、ダメになっている証拠だ。


・小説と落語の最も根本的な違いがある、それは、小説は読んでいてストーリーが分からなくなったら、もう一度、分からない部分に戻って読みなおせばいい、でも、落語は途中で分からなくなっても、「師匠、さっきのご隠居さんのとこ、もう一遍やって!」とはいかない。ここに基本的な違いになる、つまり、落語は聴いてて一度一度分からなくなったら、もう終わりということだ。これは決定的な違いになる。落語は途中でやり直せないから、ストーリーはなるべく簡単にしうて、しつこく繰り返すくらいのほうが聴く側は理解しやすい。


高座に上がるとき、絶対にしてはならないことはおどおどした態度である。基本的に演者と客とは、いつも食うか食われるかの関係にある。そういう高座でおどおどしていると、その瞬間、客に食われてしまう。客に対して優位に立たないといけない。緊張してるような素振りをしたらなめられて、その後の落語でも「こんな芸人の落語で笑われるのか?」みたいな態度で聞かれると、それだけでも笑いが半減してしまう。


・師円生の言葉。「芸というのは砂の山。いつも少しずつ崩れている、私の芸はここまで上がったと思っても、なにもしないとずるずる、ずるずると落ちてくる。そこで、砂が崩れる分だけ稽古をして、上ってやっと前と同じ芸なんだ。だから、もし芸を上げようと思ったら大変だ。砂が崩れる以上の努力で上っていけば、その分だけ少し芸が上がる。何もしないと芸は下がる」


「笑わせる 腕になるまで 泣く修行」って故・林家三平師匠が言ってたけど、どの道でもトップの人には共通点があるよね。深イイ!おススメ!


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