ワタシと兄も明治大学生田校舎農学部出身。ビートたけしと兄・北野大さんも同じ明治大学生田校舎理工学部(前工学部)出身。いつも、何か共通点をカンジて親しみ深い。そして大尊敬している。(・∀・)
芸能界の光と闇を誰より知るレジェンド・ビートたけしが、「闇営業とヤクザ」「テレビ業界の真実」についてタブーなき持論を展開する。テレビでたけしが吠えたあの一言、「オイラたち芸人は、猿まわしの猿なんだ」の真意とは?今回も公共の電波には乗せられない放送コード完全無視の内容」そのエッセンスを紹介しよう。
・いつから芸人は、 世間からモラルを求められる存在になってしまったんだろうか? 本来はカタギの社会で行きていけないヤクザ者、 半端者の集まりが「芸能界」のはずだった。「芸能界の大御所」 なんて言われる人間の過去をちょっと調べてみろよ。 みんなスネに傷ある人間ばかり。昔の芸能界は、 たとえクスリやらで逮捕されたって、 何年か経てばシレッと元通り活躍できるほうな、ゆる〜 い業界だったんだよ。
・ 地方の興行なんてヤバい筋の人たちが出てくるのが当然の世界だ。 大きな声じゃいえないけど芸能事務所にはヤクザより怖い人だって たくさんいるからね。 もし本気で芸能界から反社会的勢力を排除しようとしたら、 芸能界が今の半分っくらいになっちまうってオチかもしれないぜ。 (笑)興行と銘打って芸能活動をしてたら、 ヤクザと関係ゼロなてわけないのに、 なんで責任をタレントに押し付けるのかまるで意味がわからない。
・「闇営業」なんていわない。「内職」を逆さにして「 ショクナイ」なんて言ってたもんだよ。 事務所に中間搾取されない「ショクナイ」 はこれ以上なくありがたい話だった。 おいらも数え切れないほどやったぜ。 ショクナイで事務所をクビになるなら、 オイラなんて死刑になったっておかしくない。(笑)
・芸人なんてものは「カネがもらえる」「ゴチになれる」 と聞けば、相手の名前を聞くよりも先に押しかけるもんだ。 とくに若い頃はそうだよな。 保身のために言い逃れをしてしまったのが、宮迫の一番の失敗だ。 だけど、それに輪をかけてマズかったのが、 ロンブーの亮と一緒にやった、あの涙ながらの会見だよ。 2人が深刻な表情をして涙を流せば流すほど、オイラは冷めた。 一度そんな目で見られてしまた芸人が、 人を心から笑わせられるか?芸人はバカだと思われてもいいし、 ワルだと思われたって構わない。だけど、 同情されちゃ商売にならない。
・オイラたち芸人ってのは、「猿まわしの猿」なんだよ。 猿が人を噛んだからといって、猿に謝れっていうバカはいない。 飼ってるヤツが謝るのが道理だ。 吉本は6000人の芸人がいるというそのトップは「猿」 を6000人も飼ってるいるのにこの対応か、と呆れちまった。
・漫才は近頃でも上手いヤツがジャンジャン出てきているし、 いまだにレベルが上がり続けてる。だけど落語は、 志ん生さんを超えるのは見当たらない。歴史があるぶん、 とっくの昔に落語は芸として完成してたんじゃないかな。 50年以上前に活躍してた名人の技術に、 この時代の人間がどれだけ頑張ってもなかなか追いつけない。 それってものすごいことだ。まだに「古典」の強みだよ。
・これだけ突出しにくくなったいまのお笑いの中で、 もし爆発的に売れる芸人が出てくるとしたら、 これまでの固定観念を吹っ飛ばすような「新しい漫才」 をやるしかないだろう。 スピード化が来るところまで来た現代の漫才は、 さながら二進法の「デジタル漫才」だ。それを逆手に取って、 最近じゃ失われた、アナログ的な「味」 のある漫才もいいかもしれない。福岡出身の博多華丸・ 大吉なんてのはそういうタイプかもしいないな。
・よく「芸人は親の死に目に遭えない」って言うよな。 あれは親が死んでも平気で漫才ができて、 笑っていられるような資質を持つヤツなんだ。「 親が死んでも自分が大丈夫」というのが芸人だよ。同じ芸者でも、 役者もそうだ。ウソで泣いて、ウソで笑っている。 自分の感情なんてまるで捨てて、いつも舞台に入り込めてしまう。 そういう意味で「人でなし」だ。お笑いの求められているのは「 客を笑わせること」だ。そのためには何をするべきか、 すべきではないかを考えることだ。それが「芸人の作法」 につながってくる。
ホント、そのとおり!同感っ!だよね〜!でも結局、よしもとのあの!モンダイって何だったの〜!?結論はどうなったのか〜!?オススメです。(・∀・)