「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜新聞っていいなあ!…『心がぽかぽかするニュース』

心がぽかぽかするニュース

心がぽかぽかするニュース

以前、SAトレーナーブログ「目のつけドコロ!」でも書いたけど、私は、なぜか新聞に縁があり、新聞が大好きなのだ!(^^ゞ


「新聞配達の思い出!?」
http://blog.livedoor.jp/samaster/archives/51743597.html

「新聞社勤務の思い出!?」
http://blog.livedoor.jp/samaster/archives/51741838.html


この本は。日本新聞協会が全国から募集した「HAPPY NEWS 2005」、つまり「あなたをハッピーにした新聞記事を送ってください」といことで応募総数8262通から厳選した73のニュースを収録。新聞がはこんだ身近なしあわせを満載!読むだけで、心があたたかくなって、勇気がわいてきます。その中で二つ紹介しちゃおうか!


【冬の約束 50年の寄付「卒業」】 毎日新聞 2006年2月26日 朝刊


長崎県警に、今年も白い封筒に入った一万円札6枚が寄せられた。毎年冬に届く匿名の寄付で50年になる。
「わずかなお金ですが、気の毒なお友達にあげてください」1956年、寄付はこんな手紙とともに届いた300円から始まった。
封筒には「A子、S子 17歳」と書いてあるだけだった。二人は当時、長崎市内に住む高校生だったらしい。3年後には友人の「Y子」さんも加わった。72年、Y子さんが亡くなったという文面がつづられてきたが、寄付は3人の連名で続いた。
「我が家では今年から少し給料が上がりました」。近況報告とともに前年より少し多い金額が届くこともあった。99年からは毎年6万円。
今年で総額は126万円余りになった。昨年から、Y子さんの娘を名乗る女性の寄付5千円も別に届く。
だが。今年2月14日に届いた連名の寄付は封筒の様子が少し違った。毎年裏面に書かれていた「A子、S子、Y子」がなく、A子さんの妹という女性の手紙が入っていた。「姉は埼玉に居りますが、体調を悪くして代わりに手紙を書いています。(寄付は)姉が続けてきましたが。五十年を迎えて卒業させていただきます。永い間お世話になりました」
県警は匿名の意向を尊重して寄付の主を探すことはしなかった。「50年間も続けられたことは、『敬服』の一言に尽きる」と広報課の吉田誠調査官(56)。
最後の寄付も昨年同様、ボランティアや障害者団体を助成する「長崎県愛の福祉基金」に託された。(川村剛志)


【地方点描 おにぎり】 秋田魁新報 2006年1月28日 朝刊


住民から差し出されたおにぎりを、ドライバーが窓越しに受け取る。「名前は」と何人も訪ねたが、住民たちは「なんも、いいってば」とかわし、長く伸びた
車列を縫って。おにぎりとお茶、漬物を配り歩いた。四日深夜からの記録的な大雪で、翌五日夕まで通行止めが続いた八郎潟町真坂の国道7号での出来事―。
真坂歩道橋近くに住む主婦らが、停車中のドライバーにおにぎりを配ったのは五日午前九時ごろから。朝から国道の車が何時間も動かないことに気付いた一人が、
「腹の足しに」とおにぎりを握りだすと、夫に「それじゃあ足りない」と言われた。外に出ると南北に長い車の列。お向いさんにも声を掛けて米を炊き、夫らとおにぎりを配った。車内の女性には家のトイレを使うよう申し出た。
列車の乗客を代行輸送中の大型バスの手前でおにぎりがなくなると、自宅に戻り、さらに近所の四軒に呼び掛けた。車が動き出す昼すぎまで。最初の主婦は米一升六合を供出した。主婦らが住む十九区町内の隣の二十区町内にも炊き出しをした人がいたことも、後で分かった。
その一週間後、町役場にお礼の電話があった。ラジオでも話題にされた。主婦らは、町から「広報誌に顔写真を載せたい」と頼まれたが、断るつもり。当方も同様のお願いしたが「自分たちも気持ちよかったんだから・いかつい顔の男性が車から降りて、何度も頭を下げてくれたし…」と笑ってかわされた。最初におにぎりを配った主婦は「一緒に炊き出ししてくれた人が近所にいたことがうれしい」と話した。多数の犠牲者が出ている今冬の豪雪だが、その陰にこんな話もある。(南秋田支局長・中田貴彦)


こんなちょっとした記事が心をほわっとさせる。新聞っていいなあ!(^<^)