- 作者: 本庄敬,滝田よしひろ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1996/05/15
- メディア: 単行本
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MUSEUM〜山頂に残された旗〜マッキンリーに消えた植村直己の足跡
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070218
SAトレーナーの目のつけドコロ 小野塚:植村直己先輩
http://blog.livedoor.jp/samaster/archives/52233212.html
この本は、私のオフィスの机の隣の橋本トレーナーからお借りしました。マンガになっているんだよね。いま、小学生が読む伝記や偉人伝には、あのイチローが名を連ねている。時代は変わったね〜!植村さんも、天国で、「まさかオレの生涯がマンガになっているなんて…」と照れているんだろうなあ。(^u^)
マンガなので読みやすいのはもちろん、この本で仕入れたのは、あとがきに書かれている植村さんの人柄と冒険に対しての準備力の記述だ。そのエッセンスを紹介しよう。
植村は、自然を相手にしたときも、やさしさをつらぬき通しました。
ちょっと経験を積んでくると、どうしても自信を持ちすぎるものですが、彼は最後までそうはなりませんでした。1970年(昭和45年)彼は日本人初のエベレスト登頂を果たしますが、実は前年に、標高3800メートルのエベレスト山麓で単独で冬を越し、毎日登山靴で走って体をきたえ、準備したのです。
1978年(昭和53年)には、単独犬ぞりで、北極点到達に成功しました。このときも、僕らから見れば、「何もそこまでやらなくても」と、じれったく感じるほど、何年間もかけて、入念な準備を繰り返したのです。北極という、極地冒険で成功するかどうかのカギを握るため、「まず、心身ともエスキモーのように極地人に変身しなければ、成功はおぼつかない」というのが、彼の冒険哲学でした。地球上で人類が住む北限である、グリーンランド・シオラパルクのエスキモー集落に入り、彼らといっしょに生活をし、きびしい寒さに対する工夫、犬ぞりの使い方、食料となるアザラシやセイウチなどの猟の仕方を学ぶ。それから生肉も食べられるようにならなければ…。
当時、雪山での昼食というのは、大きなビスケット四枚でした。食べ盛りの僕らには、とても足りないのですが、食料の重さをできるだけ減らすことが、雪山登山の鉄則です。いちどきに食べてしまうと、あとで人が食べているのを見て、うらやましくなります。
何枚か、ヤッケのポケットに隠しておき、みんなが食べ終わったころに取り出して、ゆっくり時間をかけ、食べるのです。そんな、大事なビスケットを一枚、いつも春山登山合宿中に誕生日を迎える僕に、「やるよ」と言って、植村はこっそり渡してくれました。
たまたま新聞記者という職についた僕は、大学卒業後もずっと彼の冒険を見守って来ました。そして、改めて彼から教えられたことは「優しさ」と「努力」の二つです。そんな植村に、あのマッキンリーという、彼が最も愛した北極圏の自然が、なぜ過酷なしっぺ返しをしなければならなかったのか、僕にはいまだにわからないのです。 (中出水 勲)
はあ…。(T_T) すごいなあ…。植村さん。また、植村冒険館に行ってお尻を叩いてもらおう。(^u^)