「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「大洋ホエールズ誕生前!林兼商店野球部から大洋漁業野球部まで」(佐竹敏之)

私が小学生の頃は、横浜DeNAベイスターズは、大洋ホエールズだった。もちろん本拠地は川崎球場。エース平松、4番打者松原を筆頭に、首位打者の長崎、中塚、シピンオバQ田代などの個性的な選手が揃っていた。さて、この本は、日本三大漁業会社の中の一つ、下関市林兼商店野球部から大洋漁業野球部、そして大洋ホエールズへと姿を変えていく壮大なドラマ。そのエッセンスを紹介しよう。


「大洋はのう、昔下関におったんやけえの」私が小学生の時、野球の話になると父がよく言っていた言葉である。読売や阪神に関する本は非常に多い。しかし大洋ホエールズ、特に下関時代の大洋ホエールズに関する本は皆無に近かった。当時の地元紙(防長新聞)(現在はない)を調べると、大洋ホエールズ誕生についての記事が次から次へと、おもしろいように見つかった。地元下関のプロ野球誕生に向けられた。当時の市民の熱い期待が記事からひしひしと伝わってきた。まずは地域を問わず「生粋の大洋ファン」に本書を読んでいただきたい。


・1930(昭和五)年の東京日日新聞。「隠れたる珠玉、凛として桧舞台に輝く日(下関代表)林兼商店チーム。同商店は、資本金1000万円を擁して下関に本店を置き、朝鮮、台湾、長崎などの支店と呼応して大々的に海産界に飛躍する中部一族の王城であって、主人公は大の野球狂、昨年(1929年)5月に野球団を造り上げたばかりであるのに、早くも隠れたる珠玉を以って目せられ、一躍東都の桧舞台に打って出る資格を得たのである。トロール船を艤装して横浜まで押しかけようか」などと同商店は上を下へとはしゃいでいる」この林兼商店こそが、のちに大洋漁業野球部となり、現在の横浜ベイスターズの前身であって大洋ホエールズの源流である。


・林兼商店の創業者、中部幾次郎氏の祖先は、兵庫県明石郡林村の出身で、明石城下に移り住んで生鮮魚の商いを家業とした。出身地の林村にちなんで、屋号を「林屋」としていたが、幾次郎氏の祖父の代から「林屋兼松」世襲制を名乗るようになり、屋号を「林兼」に改めた。そのころから市場などで、林兼の頭文字の「は」を丸で囲んだ印を用いるようになったという。



いいなあ!日本の野球の最盛期のドラマじゃあ!野球ファン必読っ!オススメです。(・∀・)