「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜貧乏は楽しい!?…『全日本貧乏物語』(赤瀬川原平)

私は小学校に上がるころに、生まれ故郷に新潟から小田原に引っ越してきた。貧乏という言葉は不適切かもしれないけれど、今から思えば結構、貧乏だったのだろう。(^v^)小学校一年の時、ランドセルや自転車を買ってもらえなかったことは以前、ここでも話したよね。(^J^)


MY PROFILE〜小野塚 輝 「失敗の履歴書」
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100222


その頃は親戚の家の離れに居候していたので、お風呂はもらい風呂だったし、トイレも共同だった。家族六人で六畳二間に川の字で寝ていたっけ。まてよ…、自分がいちばん貧乏だったころっていつだったんだろう…!?大学生のときは、働きながら学校に行っていたな…。でもそんなに貧しくなかったか…。社会人一年目かな。あの時、電気とガス止められたっけな…。(^_^;)


さて、「文章に書かれた貧乏は楽しい。その楽しさにひたっていると、その楽しさに勝るものはないと思ってしまう」(解説より)。この本は名の知れた作家や芸術家らが貧乏だったあの頃を振り返る、ちょっと懐かしいエッセー集。その中でもイチバン面白かった、狐狸庵先生こと遠藤周作氏のハナシ。そのエッセンスを紹介しよう。


・家庭教師や仏語教師(?)では、飯は食えても本は買えぬし、小遣も少ない。来年の授業料の準備もせねばならぬ。そこでぼくは下宿の寝床でいろいろ考えた末「遠藤商会」というものを設立したのである。商会の社長はぼくであった。社員は常時二人で、いろいろ入社させたりもしたが、その中には今、慶応の文学部助教授をしているM君もいるほどだ。事業はどういうものかというと、出発当時は三つあった。


第一は代返業である。代返というのは読書もご存知だろうが、授業をサボる連中のために代わって出席の返事をしてやることだ。この返事は案外ムツかしく、教師は出席をとりながら一度聞いた同じ声色は案外、覚えているものなのでる。だから三人も四人もの代返を引き受けた時は「ヘイ」「ハイ」「ハアイ」などと発音を変えるだけでなく、声色そのものも変化させねばならぬ。


遠藤商会はこの代返一つに五十銭を頂いた。その代り安全、成功をモットーとして、もし失敗した場合は金銭を返却するのみならず、万一、失敗した時の責任も潔く負うという保障をつけたから、申込は毎日、非常に多かったのである。


第二の事業は試験前のノート写しである。平生、学校にでてこない連中でいざ試験前になると、あわてて友人のノートを借りまわる姿を読者は記憶していられるだろう。わが商会はそれに眼をつけて一冊につき、五円の値段でノートを彼らに代わって写してやった。


これには二つの利点があった。一つは馬鹿でもない限り、同じ内容のノートを五冊も筆写すると、全部、暗記してしまうものである。金を稼ぎながら同時に試験勉強もできるわけだ。次に試験前という非常時だから、五円という当時の学生にとっては高い値段に拘らず、申込はモノすごいものだった。遠藤商会の社員は昼夜兼業で働いたものである。


第三の事業は、当時日吉の慶応の近くの百姓さんたちの苺を風呂敷に包み、東京の渋谷に運んで売ったのである。この事業も季節の制限はあったが儲かった。


…いいなあ…。こんなエピソードなら山ほどあるよ。(^J^)今度は「貧乏の履歴書」を書こうかな。おススメよ!(^<^)