「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「百年目の帰郷ー王貞治と父・仕福」(鈴木洋史)

私が大尊敬する世界のホームラン王・王貞治。(・∀・)親しみをもって王さんと呼ばせてもらおう。その王さんの父親、王仕福さんのことはほとんど知られていない。


「756本のホームラン世界記録を達成し、国民栄誉賞の第一号に輝いた国民的ヒーロー・王貞治。王のルーツを探り、その父・仕福の生まれた中国大陸を訪れた 筆者が発見した「封印された」秘密。それは父から息子への「決して伝わらないはずの遺言」だった。二つの中国の間で翻弄されながら日本に生きる王貞治と 父・仕福を描き、祖国とは、国籍とは、そして血縁とは何かを問う21世紀国際ノンフィクション大賞受賞作」そのエッセンスを紹介しよう。


「他人に迷惑をかけられても、他人に迷惑をかけるな」「他人の喜ぶことは進んでやれ」戦前、中国の貧しい農村から来日した父・王仕福はつねに周囲の日本人社会との融和を図り、折あるごとに子供たちにそう言い聞かせ、王の身にもその教えが知らぬ間にしみついていた。


・試合終了後、七五六号を祝福するセレモニーが始まった。父・仕福と母・登美を登場させることはあらかじめ予定されていた段取りでないことは、仕福と登美の地味な普段着姿が証明している。仕福は「そんな晴れがましいことは…」といったんは躊躇している。「いつも息子がお世話になっています」「悪いことがあったら叱ってやって下さい」二人は巨人の関係者と顔を合わせると、そう言って頭を下げるのが常だったが、この日も周囲に「ありがとうございます」の言葉を繰り返していた。


・仕福は戦前、中国の貧しい農村を出て日本に新天地を求め、日本人・登美と結婚し、苦労の末に中華料理店を成功させた。登美との間に鉄城、幸江、順子、貞治という四人の子供を持つと、「二人の息子のうち一人を医者に、一人を電気技師にさせ、いずれ中国に連れて帰って故郷の村の建設に役立たせたい」という夢をいだくようになった。だが、それは果たせず、代わりに戦後になってから自分一人で何度か帰郷していた。1977年の帰郷の際、小さいけれど、しかし自分の人生を総決算する意味を持つ、ある「事業」に着手していた。そして翌年の帰郷の際に「事業」の完成を見る。その「事業」の存在はなぜか、王だけではなく家族の誰に対しても秘密にされ、数年後、仕福はその秘密を一人抱え込んでこの世を去る。その「事業」は発見されれば、王の人生を左右しかねない可能性を含んでいる。


・仕福がなした「事業」の存在が発見されるまでには七五六号の熱狂から二十年あまりの時を待たなければならない。それが発見された時、七五六号の持つ真の意味が明らかになってくるーそれは二代の王が背負った、いや背負わされた歴史の結晶であり、すでに幕を閉じた物語ではなく、未来に向かって開かれているのだ、と。


仕福は学校教育というものを一日足りとも受けておらず、自分の名前などを除けば文字を書けなかったので、自ら自分の歴史を記すことは不可能だった。来日してから日本語を覚えたら、死ぬまで中国語訛が抜けずにたどたどしく、表現力にも乏しい日本語に終わった。「もっと日本語が上手ならば、いろいろと胸の内を吐露できたんでしょうけれど」と家族は残念がる。


父の自殺、幼い弟の病死、小さな村での孤独で貧しい一人暮らし…故郷には忌むべき過去が詰まっている。しかも、門出を祝福され、惜しまれつつ故郷を跡にしたのではない。故郷を捨て、故郷と訣別したのだ。仕福にとって故郷とは過去そのものだ。


仕福は故郷に住む親戚の住所を残さなかった。どのように行けばいいのかも、家族に詳しく教えなかった。電話番号も……いや、仕福が生きていた時代、中国の貧しい農村に電話などあろうはずがなかった。今でさえ。あるかどうかはあやしいだろう。故郷の光景を写した写真は一枚もない。至福の死後、唯一残った至福の故郷の痕跡は、「中国浙江省青田県四都」という地名だけだった。しかし、その名は日本で手に入る一般の地図の上に見つけることはできない。至福の故郷はまるで、至福の死とともに忽然とこの世界から消えた幻の村のようだった


王仕福よ、なぜ、あなたはかくも意図的に故郷を家族から遠ざけたのか。なぜ、あなたは「どこにあるかさえわからないところ」にしたのか、あなたの真意はどこにあるのか


いや〜感動、感動!この親にして子あり!超オススメです。(・∀・)