- 作者: 阿部珠樹
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 2009/05/16
- メディア: 単行本
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野茂英雄はなぜ、人を奮い立たせるのか。スポーツ誌『Number』好評連載「特別ノンフィクション」、ついに書籍化!全ての野球ファンに贈る!そのエッセンスを紹介しよう。
・野茂英雄がドジャースのユニフォームを着たのは、1995年の春である。1990年、近鉄バファローズにドラフト一位で入団した野茂は、入団の年、最多勝、防御率、最多奪三振など投手部門の主なタイトルを一人占めにし、新人王とMVPに選ばれた。その後も三年つづけて最多勝と奪三振王のタイトルを獲るなど、日本を代表する投手として大活躍した。しかし、1994年、肩を痛めてはじめてひと桁勝利でシーズンを終えると、シーズンオフの契約交渉ではメジャーリーグの移籍を希望して球団と対立。首脳陣と起用法についての考え方に食い違いもあったが、なによりレベルの高いメジャーリーグで自分の力を試してみたいというのが野茂の素朴な願いだった。
・前例もなく、選手移籍の基本的なルールも確立していない中でのメジャー移籍は球団は戸惑わせた。またメディアを中心に、「ルール破り」「わがまま」といった強い批判が浴びせられもした。わがままな男がどれだけやれるというのか。それを見極めてやろうという冷めた目も半分以上は含まれていた。
・在留日本人の安部新二は、「1995年の春、野茂が来てすべてが変わった」という。トルネードという特徴のあるフォーム。打たれても、三振を取っても、特に悔しがるでも喜ぶでもなく、表情ひとつ変えずに投げつづける。喜怒哀楽をはっきり表すアメリカの人間関係の中で長く暮らしてきた安部にとって、野茂の古風な佇まいには郷愁のような魅力が感じられたのだ。もう目が離せなくなった。
・アメリカではまったく無名の日本人選手が、日本での安定した立場と人気を捨て、最低年棒でメジャーに挑む。個性的な投球フォーム、三振を積み重ねる痛快な投球、寡黙で素朴な受け答えに加え、アメリカのファンにはメジャーの高給取りがなくしてしまったフロンティアスピリットが、そこにあるように思われたのではないか。
・安部はいう、「野茂の無表情を、むしろ非常に好ましく見ていましたね、僕は。彼がとても一途だということがそういう受け答えの様子を見てもようきうわかりました。野茂にはアメリカに受け入れられようとか面白い答えで受けようとかいうことがまったくなかった。自分は野球だけをやっていればいいんだという感じ。柔軟性がないといえばその通りでしょう。でも、そういう変わらないスタイルを貫いたところが思えたんです」
・当時の新聞をひっくり返していたら、面白い一節があった。英語で喜びのコメントを求められたのに対し、野茂は日本語で「ないです」とだけ答えたというのだ。「ないです」は「たまたまです」と並んで、野茂がよく口にする「決めぜりふ」である。「ありません」ではなく、「ないです」と断言するのが野茂らしい。しかし、一見冷淡そうな彼の話しぶりが、長いキャリアから生まれた独特の遠近法によるものだった。
・2008年7月、野茂はついに現役引退を表明した。通信社を通して配信された引退表明には「悔いが残る」という言葉があった。華やかなセレモニーも、フラッシュがまぶしい引退会見もない。野茂らしい引き際だった。
個性的ないい選手だったね!またあのトルネードを見てみたいよね!野茂、最高!(^^♪