日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)
- 作者: 内山節
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/11/16
- メディア: 新書
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山村に滞在していると、かつてはキツネにだまされたという話をよく聞いた。それはあまりにもたくさんあって、ありふれた話しといってもよいほどであった。キツネだけではない。タヌキにも、ムジナにも、イタチにさえ人間たちはだまされていた。そういう話がたえず発生していたのである。
ところがよく聞いてみると、それはいずれも1965年(昭和40年)以前の話だった。1965年以降は、あれほどあったキツネにだまされたという話が、日本の社会から発生しなくなってしまうのである。それも全国ほぼ一斉に、である。一体なぜ1965年をもってキツネにだまされたという物語が発生しなくなってしまうのか。1965年に、日本の何が変わったのか?
その背景と、自然と人間の係わり合い、歴史と「みえない歴史」を綴った興味深い本をチラ見しちゃおう。
・古来より日本に暮らす人々は、キツネをはじめとする自然の生き物たちに人間以上の力を感じていたようである。人間にはない能力をもっているという思いである。
日本では自然物自体が神として祈りの対象になることがよくある。山の神、水神、田の神…村の世界は様々な神々の世界であり、それとどこかで結びつく様々な生命の世界であった。それが人々がキツネにだまされていた時代の生命世界であった。
・経済成長が統計的に現れてくるのは、1956年(昭和31年)からといってもよい。この年を境にして、日本のGDPは拡大しつづける。それが人間の精神を変え、精神的なコミュニケーションのあり方を変えた。自然や神々歴史などと自分とのコミュニケーションが成立していることを感じながら暮らしていた人々が、その精神を衰弱させ、経済を媒体としたコミュニケーションを中心として、自分の精神をつくりだすようになる。そのとき、キツネからの働きかけに応じる能力を人間は失った、と多くの人たちが推測する。
・1960年代にはふたつの大きな変化があった。ひとつは電話、第二はテレビの普及である。、さらにもうひとつ、漫画雑誌をふくむ週刊誌などの増加を加えておいてもよい。そして日本の高校、大学への進学率は高まり、その動きは農村でもひろがっていった。
・1965年という年は、日本の人々の精神史にとって大きな転換点だったのではないか。人間たちの自然観の変化も、信仰観や死生観の変化もん、そして当の人間観の変化もある。私たちを私たちたらしめている要素のすべてが変わったといってもよい。
ハア〜!(^。^) 確かに文明の進化とともに様々な価値観が変わっていったんだね。この着眼点は思いつかなかった。天狗も河童もいなくなっちゃもんね…。淋しいような悲しいような…。(^_^.) オススメよ。
哲学者・内山節(たかし) オフィシャルサイト
http://www.uthp.net/