「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜過疎の町、どん底からの再生…『そうだ、葉っぱを売ろう!』

そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生

そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生

私の生まれた新潟県東頚城郡松之山町(現十日町市)は、私が生まれた昭和39年ごろは人口二万人だったらしい。
それが今では3000人そこそこという過疎の町…。小野塚家もそこを出て行ったんだからね…。まあ、今では十日町市編入されてからは六万人とはなったけどね。

さて、この本の著者はテレビ東京の人気番組カンブリア宮殿にも登場した、「葉っぱ」ビジネスの仕掛け人
株式会社いろどり代表取締役横石知二氏だ。


高齢化社会や過疎の町を救うアイデアがここに満載!年間4000人もの視察団が殺到し、
来る者を驚嘆させる高齢化の町、徳島県上勝町

山に生えた「葉っぱ」を売って、年商2億6000万円!80歳を超えるおばあちゃんたちが、
パソコンを駆使し全国の市場情報を収集、自らマーケティングを行い、年収1000万円を稼ぐ強者や、過疎の町とは思えない豪邸を建てるものまで現れた。長くなるけど、そのツボとコツを紹介しよう。


・「彩」の商品は、南天ウラジロ、笹、青モミジ、ハランといった通年出荷されるものから季節限定の物まで葉っぱが多数と、梅、桃、桜、アジサイ花椿などの季節物の花物、フキノトウ、タラ芽、ノビル、ワラビなどの山菜まで、約320種類にものぼる。


上勝町に来た当初は、とにかく地理も人も、まったく分からなかった。そこでまずは、農家を一軒一軒あいさつに回ることから始めた。最初の1、2年は仕事というよりも町の地理や住んでいる人の顔と名前、それぞれが何を栽培しているかなどを覚え、自分のことを知ってもらう勉強の期間であった


上勝町に来てからまず一番におどろいたのは、山や田畑で働く60代から70代ぐらいの男衆の何人かが、朝っぱらから一升瓶を提げて農協や役場に集まり、酒を呑んで、くだをまいていた。ひまであることが、いかにいけないか。ひまが続くことが、人間にとってこんなにも悪く作用するのかということを、そのときにものすごく感じた。


・農協にいる営農指導員は、私ひとり。早朝に家を出てから、夜は帰ればだいたい10時、11時。寝る時間もあまりない。土曜、日曜、連休も関係なし。年間4500時間労働、超異常な働きぶりだった。 


・昭和61年(1986年)10月の大阪・難波の『がんこ寿司』に立ち寄った。若い3人の女の子3人が出てきた料理についている赤いモミジの葉っぱをつまみ上げて、大喜びしたのだ。「これ、かわいー、きれいねー。持って帰ろう」  (これがかわいい?)私には不思議に思えた。(こんな葉っぱが?)(こんな葉っぱ…上勝の山に行ったら、いっくらでもあるのに…)そう思った瞬間、ピッ!とひらめいた。そうだ、葉っぱだ!葉っぱがあった。葉っぱを売ろう!葉っぱなら軽いから、女の人やお年寄りでも扱いやすいし、何より上勝の山にいくらでもある。「これはいける!」

・がんこ寿司の小嶋淳司会長 「がんこグループの全店舗には、年間延べ800万人のお客様が訪れる。そのお客様みんなが、料理についている葉っぱ、つまものを目にされている。しかし、それを見て、事業にしようと思い立ったのは、横石さんだけだ」


自腹で料亭に通いつめて、研究。いろいろなポイントが分かってきた。まず季節感。桜だったら、自然の桜が咲く前に出す。日本の懐石料理では、45日早い季節感の先取りが求められる。これは早すぎてもいけない。次に自然のままではダメ。しみや虫食いの穴があってはダメ。大きさも、大・中・小とそろえ、使う器に合わせることが大事だった。料亭という現場に通い詰めて初めて、つまものの貴重な得られ、そうしてだんだん私の中でつまものの謎が解けてき
た。


・これまで47都道府県、全部営業で回った。葉っぱは、安いからといって買ってくれるものではない。必要とする人が必要とする人が、必要な分だけ買ってくれるのである。そのため生産と売り、需要と供給が一体になっていくことが、このビジネスでは必要なのだ。


・年金暮らしだったお年寄りは、「彩」で収入ができて所得税を納めるようになり、毎日のように行っていた診療所やデイサービスも、いそがしくなってそれどころではなくなった。雨が降ると役場や農協に集まり朝から酒を呑んで愚痴をこぼしていた人たちは、いつのまにかまったく来なくなった


・平成8年(1996年)子どもの将来のことを考え、転職を考え始めた。3人の子供が生まれたが、それでも給料を1円も家に入れない、一番上の子が中学校に行くようになり、どんどんカネがいる手取り18万〜19万ぐらいでは先行きが厳しいと感じていた。さんざん悩んだ末に転職を考えた。ところが、彩部会177人は、全員の手書きの署名と捺印、お願いの言葉が書かれた嘆願書を差し出した


「横石さまがいないと上勝はやって行けません。どうか上勝、彩の里の灯をけさないで、助けて下さい。どうか今一度お考え直していただき、私たちに生きるよろこびと勇気を与えて下さい」


「彩の仕掛け人、上勝町の発展のためにも頑張ってください」


「心の恋人、消えないでください、お願いします」

「横石さん、貴方様は、上勝の太陽です。上勝に何時までもいて下さい。おねがいします」


異例中の異例で、農協から役場の職員に転籍になり、上勝町に残る決意をし、給料は、農協のころよりも一気に10万円上がった。


・いまではおばあちゃんたちがパソコンを使いこなし、自分の売上アップにしっかり活かしている。毎日の売上金額と順位が分かるようにしたことも、予想以上に大きな成果を挙げた。「自分の通信簿を見ようみたいで楽しいな。高あに売れとったら、うれしいし」そんなふうにこの情報が、おばあちゃんたちの仕事評価になり、やる気につながった。


・パソコンで毎日数字を見て、商品の売れ行きを予測することが脳のトレーニングになる。売上金額と順位を見れば闘争心がわき起こる。パソコンを使いだして、おばあちゃんたちがすっかり若返ってきたことは、うれしい驚きだった。


・子どもや孫にお小遣いをあげ、その名義に積立貯金をする。ある人は孫のマンション購入資金まで援助をして、そのマンションを飛行機に乗って見に行き喜んでいた。貯金ができて、71歳で生まれて初めての海外旅行でオーストラリアに行った人や、築200年という由緒ある古い家を守っていけると喜ぶ人もいる。
「男の人には分からんわ。自分で稼いで、自分で使えるこのうれしさっていうのは言葉にできん」「自分の子や孫に、自分のお金として仕える喜びは、男の人には分からん」「ほんまにこれは生きがいじゃあ、死ぬまでやめられんわあ」


上勝のおばあちゃんたちは実に元気だ。80代の人でも、朝から晩まで仕事をしている。、出しているごみを見れば分かるが、栄養ドリンクをすっごく飲んでいる。
「病は気からと昔から言うだろ。80も過ぎたら、ほらみんな体のどこかは痛いところがある。ほんでも朝起きて、今日はこれやりたいと思うことがあったら、からだの痛さは消えて、苦にならんでよ。なにもせんでええって言われるんが一番つらい」


…しびれるねえ!このアイデア。\(◎o◎)/! お年寄りの力ってスゴイなあ!表紙のおばあちゃんの笑顔っ!私も生まれ故郷に恩返しがしたいなあ。めちゃおススメ!


株式会社いろどり 
http://www.irodori.co.jp/index/index1.html