「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「あの時、マイソング ユアソング」(都倉俊一)

  


あの時マイソング ユアソング


4歳からバイオリンを始め、小学生時代と高校時代を過ごしたドイツにおいて基本的な音楽教育を受ける。のち独学で作曲法を学び、大学在学中に作曲家としてデビューしたという都倉俊一氏。(^−^)我々の世代は、NHKのレッツゴーヤングでの司会。または、「スター誕生!」の審査員、またはあのピンク・レディーの数々の名曲を世に送り出した人という方が一般的かもしれない。


そのヒット曲誕生のエピソードと舞台裏。そして海外でのミュージカル制作や映画音楽、オーケストラまでこなす作曲家の多彩な音楽人生をまとめた本。そのエッセンスを紹介しよう。


阿久・都倉コンビでは、曲を先に作って詞を後からはめる、いわゆる“曲先”が主流になりつつあった。日本の歌は“作詞・作曲”というように詞が合ってそれに節(メロディー)をつけるのが常識であった。山本リンダ「どうにもとまらない」もノリが勝負だ。私は作曲に取り掛かり一週間後に曲が完成した。歌ってテープに入れようにまだ詞がないわけで、雰囲気を出すために「ウダダ、ウララ、ウラウララ」…とスキャットでテープに吹き込んだ。一週間後に詞が出来てきた。それを見て、私はひっくり返りそうになった。私のスキャットがそのまま詞になっているのだ!!!


・私は作曲家としてオーディションで歌を聴いているとき、普通3つのことを考えている。第一に自分の好きな声質か(声が良いか悪いかではなく、魅力的な声かどうか)、第二にスター性はあるか(歌のうまさに関係なく本人の魅力)、そしてこの子にどんな曲を作りたいかである。


ピンクレディー誕生秘話。「二人ともまったく異質の声で性格も違う。ただ合わせると独特な雰囲気になるよね、カクテルのように…。ねえ、ピンク・レディーってカクテル知ってるいるよね。どうかな、ピンク・レディーっていうの…。ただし二人が一緒に溶け会って一つになるという意味でレディースじゃなくて単数のレディーで…


・私は歌い手と作り手の関係は大きく二種類あると思っている。一つは、我々が作り上げた物語の世界に歌い手に入って来てもらい、それを演じてもらう。もう一つは、彼らが独自持っている世界に合わせて歌を作る方法である。前者はあらゆる器用さ、柔軟さが求められる。山口百恵は明らかに後者であった。


中でも、ピンク・レディー山口百恵フィンガー5山本リンダ、狩人…「ジョニイへの伝言」中山千夏「あなたの心に」「今日もどこかでデビルマン…などなど名曲揃いだね。
なかでも、「グラジュエイション」「HOW! ワンダフル」で有名な倉田まり子誕生秘話はオモシロイ!
好きだったなあ!芸名の「倉田」は、都倉氏の「倉」からとったんだってさ!

70年代、80年代のあの頃がよみがえる。オススメよ!(^◇^)


  


あの時マイソング ユアソング