「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜歌謡曲春夏秋冬…『文楽(ぶんがく)』(阿久悠)

文楽(ぶんがく)―歌謡曲春夏秋冬

文楽(ぶんがく)―歌謡曲春夏秋冬

このブログでも何度か取り上げた、明治大学の大先輩であり、私が最も好きな作詞家のひとり阿久悠氏。(^^♪ 


BOOK〜阿久悠の影の歌とは?…『なぜか売れなかったが愛しい歌』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080921
TV〜『巨星 阿久悠の世界 永遠の歌をありがとう』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070915

BOOK〜心に響く詞…『阿久愁自選詞集』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080124

BOOK〜歌もよう人もよう…『歌謡曲の時代』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080219


さて、音楽があるのに文楽(ぶんがく)がないのはなぜ?、ということで、文楽はぶんらくではなくぶんがくと読む。俳句で使われる歳時記のように、謡曲に使われた言葉は時代の中でどう歌われ、役割を変えてきたのかを一冊の本にまとめた言葉の本。
そうだよなあ、そうだよなあ!…と共感する内容で、売れっ子作詞家の内面に触れることができるよ!その一部を紹介しよう。


謡曲の言葉というのは、時代という風にぶつける紙ヒコーキのようなもので、上昇気流に乗ってはるか彼方へ行くものもあれば、逆風に失速して地に落ちるものもあります。また、中には、生き残るために姿を変えてしまうものもあります。


『東京』
「東京」を最初に意識したのは、いつのことか分からない。この世の中に存在するものすべてが、東京で作られていると思っていた。新聞も雑誌も単行本も全部東京から送り出されると信じていたし、映画も流行歌も東京以外で作られることがあるとは思ってもいなかった。


『喫茶店
コーヒーのことをコーヒーとはっきり云わず、お茶とあいまいになったのはなぜだろう?もしかしたらコーヒーが普通の家庭の日常にはなく、喫茶店という場所によって得られたということかもしれない。だからコーヒーを味わいたという欲求よりは、喫茶店へ行きたいという願望の方が多く、必ずしもコーヒーを特定しない言葉になったあのではないだろうかと思う。そういった意味では「お茶する」という動詞化は、正しいかもしれない。要するに、飲みたいのででゃなく、行きたかったのであるから。


『電話』
街を歩く。ふと気がつくと、半分ぐらいの人が携帯電話を耳にあて、歩いている。歩きながら話さなければならないような緊急の用件が、そんなに通常的にあるものであろうか?と僕は不思議に思う。
僕には、電話とは緊急のためのものという考えが強く居座っている。さらに僕にとっては、電話の会話は秘め事でる。他人に聞かせるものでもないし、出来れば電話をかけている姿も見られたくない。電話ボックスというのは、そもそも電話をかける人に密室感覚や安心感を与えるためにあったと思っている。
電話の呼び出しで幸福が伝えられるということはまずなく、それは深夜の電報ほどでないにしていも、結構不安にさせるものであった。それは今もって変わらない。

若者よ、自由を欲するなら、まず電話を手放せ!僕らは、逢って、語って、別れてから、その次に逢うまでの時間は、完全な祈りであった。心変わりの心配も、祈るしかない。それが恋愛であろう。24時間電話を掛けつづけ、完全に相手の行動を把握しようとする心に、恋愛はたぶん芽生えない。
電話を悪役にするつもりはないが、人間はもっと人間らしさを恋しがり、人間を主張する必要はあるだろう。

ん…この感性って好きだなあ。阿久悠作詞の歌を聴きたくなりました。(^◇^)