「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜孤高の芸術家!…『北大路魯山人という生き方』

北大路魯山人という生き方 (新書y)

北大路魯山人という生き方 (新書y)

グルメブームのきっかけとなった漫画美味しんぼ雁屋哲原作、花咲アキラ画)。主人公の山岡士郎の非情、冷酷、食のために家族を捨てた父・海原雄山のモデルになったといわれているのが北大路魯山人。(^^)


名前と顔は少し知っていたのだが強烈な個性とその生涯は、この本で知った。
親から捨てられ、学校にも行かずに独学で死に物狂いの努力をし、書、陶芸、絵画、料理などの分野で独特の世界を極め、人間国宝に推挙されたが、これを拒否した孤高の芸術家であり美食家!いや〜!スゴイ人がいたんだな〜!彼の言葉やエピソードをいくつか紹介しよう。



・福田房次郎(幼名)が炊いたご飯も味噌汁も養母が舌を巻くほどうまく作った。養母「同じ味噌と豆腐しか使っていないのに、どうしてわしとこうも味が変わるんやろか」
後に、魯山人「味というもんは金持ち育ち、貧乏育ちというのは関係あらへん。もって生まれた感覚や。金が無くてまずいものばかい食べおっても、美味しいという思う感覚は変わらんのや」と語っている。少年期の魯山人には既に食通と名料理人を予感させる下地が準備されていたことになる。


「一流人物の書はともかく精彩があって生きている。二流人物になると、半死半生である。三流人物はすべてに取るところはなく、最相問題にならない。これをもってしても、書は人物次第であり、人物が出来ていなくては注目に値する書にはならない。」


「一体世の中のことが分かったら分かったように出来るかと申しますと、それがなかなか出来ぬのであります。分かるということと出来るということは全然別でありまして、分かった如くにすべての言が出切れば、世の中というものは簡単でありますが、そうは問屋が卸しませぬ。」


星岡茶寮は、ひたすら美味を味わい歓談する場としての敷居を守り続ける。「味にも一期一会があるんだ」魯山人は自分の考えを曲げることいはしなかった。そのことが余計に星岡茶寮の評判を高いものにしたといえるだろう。


ニューヨーク州の大学で講演した時のこと。この町はアルコールの販売が禁止されていた。魯山人はビールを飲まない限り講演はやらないと言い出した。ビールが買える町まで車で急いでも1時間以上かかる。事情を話しても「一度言ったら引かん」といって椅子から立ち上がろうとしない。やむなく車を飛ばしてビールを買ってきた。そのおかげで聴衆は3時間も会場で待たされた。


「考えてみれば、わしを本当に理解してくれた者はあまりおらんかったなあ」


「わしの生き方はわししか分かるまい。それが分からん奴に同情されたくもないし、そんな奴らと付き合いたくもない。わしが生きている間はわしの仕事を認めてくれる人間があまりおらんことくらいわかっておる。わしが心待ちにしているのは百年先の知己だ。ただ、一つだけみんなにわかってほしいことは、わしの人生はこの世の中を少しでも美しいものにしたいと思いながら歩んだ人生ということだ。ささやかでもそれが果たせたなら満足だ。」


・後の総理大臣の池田勇人の別荘に訪れた際、応接室に飾ってあったさる大家の書を一目見て「こんな下品な作品を一国の総理になろうというものが飾っているとは情けない。即刻取り外しなさい」といって取り巻きをあわてさせたというくらい、魯山人は他人の書いた字体には異常とも思えるほど気にかけるところがあった。


「型にはまって満足するな。精進を怠るな」


「瓜の蔓になすびはならぬ」


「分かる奴には一言いえば分かる。分からぬやつはどう言ったって分からない」


歴史に「もし」はないが、もし魯山人がコミュニケーション能力に長けていたら?もし愛されキャラだったら?
しかしその強烈な個性だからこそ、死に物狂いの努力で自分の世界を作り上げることができたのだろうけど…。(・。・)


北大路魯山人資料室
http://www5e.biglobe.ne.jp/~modern/index.htm
魯山人の足跡をたどって…
http://shofu.pref.ishikawa.jp/portal/syoku/culture/rosanjin/index.html
美味しんぼ塾 ストーリーブログ
http://oishimbo.jp/