「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜全国のバカが考えた!…『バカ日本語辞典』

lp6ac42008-06-23

バカ日本語辞典 全国のバカが考えた脳内国語ディクショナリー

バカ日本語辞典 全国のバカが考えた脳内国語ディクショナリー

月極駐車場を34歳まで「ゲッキョク」と読んでいて月極株式会社が全国展開していると思っていた…。
などの、バカの脳内辞典を明らかにするプロジェクトを書籍化!ギャハハ〜!(^◇^)この本は今年最高傑作のバカ笑い出来る本だよ〜!


「親子水入らず」を何で、親子で水分を摂らないのか、不思議な風習があるもんだな、と思っていた。
(絵を参照)

「台風一過」は「台風一家」だと思っていた。


「食中毒」は食べるのがやめられないことだと思っていた。


「まっすぐ帰る」は、途中一度も曲がらないで帰ると思っていた。


日清戦争」を、小麦の所有権を巡るラーメンの戦争だと思っていた。


「波浪注意報」を「ハロー注意報」かと思っていた。


「拇印を押す」を「ボインを押す」だと思っていた。


・小学生のころ、選挙の街宣車でウグイス嬢が「ご声援ありがとうございます!」っていうのが「五千円ありがとうございます!」にしか聞こえず、子供心に「立候補すると金になる」と勝手に思い込み、将来の夢に「選挙に出てお金をもらいたい」と書いた。


・高校のころまで、ダンキンドーナツをダンコンドーナツだと思っていた。あのドーナツの穴が男根で作られるのだと信じて疑ってなかった。それを考えるとミスタードーナツも微妙な気がしていた。


・小学生のころ、高山植物」を「たかやましょくぶつ」と言っていた。飛騨高山にしかない植物のことだと勘違いして、みんなに大笑いされた。


東海大相模」を「東海大相撲(おおずもう)」だと思っていた小学校時代。


「薬剤師」はヤクザの医師だと思っていた。


「あやまって転落」は、「ごめんなさい、ごめんなさい…」と謝りながら落ちていったんだなと本気で思っていた。


「禁固刑」は、囚人服を着て金庫に閉じ込められることだと思っていた。


・中学の音楽のテストでどうしても「チェロ」の名前が思い浮かばず、「肩に担げないバイオリン」と書いた。


ギャハハ〜!笑える!…でも私は、ずっと湿度の事を室温だと思っていて、「%」とかいてあるのを誤植だと思って「℃」に全部書き直していた…。(^_^;)
ウチの妻は、忠臣蔵」のことを「ただおみぞう」だと思っていた…。みんなそれぞれ勘違いってあるよね!


バカ日本地図
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070306
借力
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