「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「三省堂国語辞典のひみつ 辞書を編む現場から」(飯間浩明)

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高校生の頃、自転車通学をしていた。カバンの中には、国語辞典、漢字辞典、英和事典、和英事典、英英辞典の5冊をいつも入れていた。(笑)コトバが好きで、いつも気になるコトバの意味を調べていた。(笑)辞書が好きです。(・∀・)

 

「書籍雑誌はもちろん看板やメニューにも鵜の目鷹の目。時には対象物を解体したり味わってみたり。辞書編纂――それが著者のライフワークだ。日常語から若者語・難解語までを視野に入れ、独自の視点で編まれる『三省堂国語辞典。その編集委員が舞台裏を案内し、ことばにまつわる様々な説をともに検証してゆく。用例採集の鬼・見坊豪紀の魂を継ぐ研究者による日本語愛あふれる辞典エッセイ」そのエッセンスを紹介しよう。

 
・私は「国語辞典編纂者」という肩書で、研修者です。たまに辞書の編集会議に出かけます。私が編集に携わるのは三省堂国語辞典』(三国)という小型辞典です。1960年以来の歴史があります。ネットで引ける辞書では見過ごされていることが、ある国語辞典には書かれていることもります。『三国』にはそのような記述が詰まっています。
 
・国語辞典は10種類以上が書店に並んでいます。どれも変わりないだろうと思っていませんか。それは書店のミステリーの棚には、多くの推理小説が並んでいる。どれも推理小説に変わりないのだから、こんなにたくさんの作品は必要ないのではないか」の例えに似ています。『三国』はひとことで言えば「『要するに何か』が分かる辞書」です。この原形を作ったのは、初代の編集主幹だった見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)です。
 
「ネットが辞典・事典に取って代わった」わけではなく、「既存の辞典・事典のうちの一部が、ネットでも無料で羂索できるようになった」と捉えるのが正解です。
 
【誤りと決めつけてはいけない】
 
・⭕的を射る、当を得る → ❌的を得る
 
「得る」は「要領を得る」「時宜を得る」など「うまく捉える」という意味。その結果、「的の中心をうまく得る(=捉える)」のが「的を得る」です。観点が違うだけで、どちらも同じことを言い表しています。
 
・⭕全然+否定形
 
日本語研究の進展によって、「『全然』の下は否定形で結ぶのが伝統的」というのは、都市伝説(根拠のない噂話)であることが、ほぼ定説になっています。夏目漱石坊っちゃん1906年)にも「全然悪い」と書いてあります。「全然」が広まったのは明治以降のことでが、最初から、否定形で結ぶ言い方もあれば、肯定形で結ぶ言い方もありました
 
「こちらメニューになります」「一万円からお預かりします」「ナウいは現代の死語」「夕方でもおはようございます」「だったり」「かな」「ふつうに◯◯」「ファミレス・コンビニは俗語か」
 
・「半世紀以上嫌われる「させていただく」」
 
打たれ強いことば、というのはあるとすれば、その筆頭は「させていただく」という語法でしょう。「ご連絡させていただく」「休業させていただく」は、ずいぶん前から「屈折した言い方」「安っぽい敬語表現」「妙にへりくだった言い方」「見境なく使われる」と非常に強い調子で批判され続けてますが、この語法が衰える気配はありません。
 
私自身はどうかというと、これを嫌う人もいる以上、なるべく自分では使わないようにしています。でも、人が使うのを聞いても、特にアレルギー反応は起こりません。

 

個人的に、「こちらメニューになります」「一万円からお預かりします」「よろしかったでしょうか?」はとっても気になる。自分では使わないようにしている。でもコトバでどんどん変わって行くんだね。オススメです。(・∀・)♪

 

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