- 作者: 江夏豊,波多野勝
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2001/03/01
- メディア: 単行本
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なにしろ、1シーズン401奪三振、オールスターでの9連続三振、日本シリーズ優勝がかかった最終戦、9回裏無死満塁からシャットアウトしたいわゆる「江夏の21 球」など、前人未到の記録と鮮烈な記憶を残した男。そして日本野球界のストッパーの基盤を作った男、江夏豊。
401奪三振がどれだけスゴイかというとジャイアンツのエース・上原浩治が最も三振が多かった年が194で江夏の半分にも満たない…というとそのスゴさが分かる。(>_<)
当時は、読売ジャイアンツは、V9の真っ最中だったが、江夏と田淵のバッテリーの強烈な印象はいまだに目に焼きついている。その不世出の天才左腕が、自ら語った波乱万丈の自伝。そのツボとコツを紹介しよう。
・僕は小学校5年の頃、生まれて初めて兄貴にバットとグラブを買ってもらったんです。そのときのグラブは左利き用です。嬉しかったんですが、右利きの僕に何でこんなものを買ってくるのかと不思議に思った。で、聞いてみると、兄貴は「お前は左をやれ」と言った。大下(弘)さんや川上(哲治)さんが左でしたから、僕を左でやらせてみせようという気持ちがあったんですね。完全に左利きになったのは中学から。回りはみな右だから、左のほうがかえって面白いんじゃないかという気持ちになって、自分でも意識して変えたんです。
・中学に入ってまもなく殴打事件を起こして野球部を辞めさせられた僕は、杉山先生のススメで陸上部に入部し、砲丸投げをやった。結局このことによって肩を鍛えることができた。後年、肩を故障しても新たな投球術を身につけ、投げ続けることができたのはこの時の経験のおかげだろう。「急がば回れ」ということだろうか。
・野球という一つの世界で、天性だけ飯が食えるといったら一年二年。あとは本人の努力と工夫。僕は勝った試合のあと、なぜ打たれなかったのか、なぜ抑えることができたのかを考えるようにした。それをつぎの試合の参考にした。やはり考えている人間が長持ちするし、勝てる。何も考えず、感性だけで力任せにやっていると、ある部分が狂うと全部が崩れていくんじゃないかな。
・僕は、登板した日のピッチング内容をメモすることを村山(実)さんに教えてもらった。ピッチャーに必要なのは、スピードとコントロールともう一つは記憶力。書き始めて、書けば書くほど内容が細かくなっていった。何対何で負けた、誰それにホームランを打たれたか、カウントなんぼで打たれたか、勝負球の前にどういう球を放ったか、その時の心理状態はどうだったかまで書くようになった。
・同じ三振でも「計算してとった三振」と「結果で終わった三振」と両方があると思うが、大事なのは、「計算してとった三振」だ。
中でも阪神、南海、広島、日本ハム、西武と5つの球団を経て引退するまでの曲折と誤解にみちた半生は、スゴイね〜!
個人的には、いまだにコーチを経験していないのがもったいなさ過ぎる!彼の指導者としてのユニフォーム姿を見たいなあ!野球ファンにはぜひ読んでいただきたい一冊だ。