一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「燃えよ左腕 江夏豊という人生」(江夏豊)

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燃えよ左腕 江夏豊という人生

燃えよ左腕 江夏豊という人生

 

いまでも決して破られない記録。その一つが江夏豊オールスターゲームでの9連続奪三振。そしてシーズン401奪三振だろう。ふたケタ三振を40試合っ!!!そりゃ無理だわー!(笑)

 
「人一倍遊び、人一倍野球に取り組み、常に逃げずに真っ向真剣勝負。プロ野球黄金時代、"最強の敵役"としてライバル球団ファンをも魅了した伝説の左腕の苛烈な生き様。野球のロマンを追い求め、独得の美学をつらぬき通す男の履歴書」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・お袋の喜美から、父親はおまえが小さいころに死んだ、と教えられて育った。複雑な家庭だった自分には14歳上の房雄、7つ上の雄二という二人の兄がいるが、三人とも父親が違っていた。おやじとお袋の間に生まれたのは自分だけ。当時のおやじは「おじさん」の立ち場になっていたのだろう。父親代わりになったのは房雄兄だ。野球を教わったのも、元々右利きだった自分を左利きに変えたのも、兄だった。兄がいなければのちに優勝請負人と呼ばれるようになる江夏豊という左腕はいなかったかもしれない。
 
始めてグラブを買ってもらったのは小学校5年くらいのときだったそのときのグラブが左用だった。当時のプロ野球のスターである青バット大下弘さん、赤バット川上哲治さんが左利きだったからだろうか。房雄は本来右利きである自分を、強制的に左利きに変えた。これが運命の分かれ道になったのだ。
 

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「指導者として現場に戻って、江夏さんのような個性派を育ててください」と多くの方々に言われる。けれど、それは無理な相談だ選手個人が主体だった我々の現役時代と違い、今は管理野球組織野球が主体だ。選手はチームの司令通りやっていればよく、個性は必要とされない時代だ
 
タイトルホルダーともなると、一流は一流なのだが、超一流がいない。三年間数字を残して一流、五年間数字を残したら超一流、というのが自分の定義だが、今は一、二年で「お休み」になってしまう選手が少なくない。なぜそうなるのかというと、個性がないからだ。投げるにしても打つにしても、自分で作り上げたフォームじゃないから、そうなるのだ。個性は技術への徹底的なこだわりから生まれる自分なりの考えも持って、それを頑固に貫き通すところに個性が出てくる。
 
我々のころになかった言葉が「違和感」だ。「肩の違和感で登録抹消」とかいうのだが、その言葉自体に、我々の世代は違和感を覚えるばかりだ投手に必要な筋肉は球数を放ってこそ身につく。打者の筋肉もスイングを重ねることでしか作れないものがある。筋トレ」だけで150キロの球を投げられるようにはならないのだ。
 
ラストの「おわりにー自分の野球人生はサチとともにあった」での衣笠祥雄との友情のエピソードは感動するね。野球ファン、オススメです。(・∀・)!

 

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燃えよ左腕 江夏豊という人生

燃えよ左腕 江夏豊という人生