- 作者: 桜井章一,甲野善紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/02/15
- メディア: 単行本
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ともに頂点を極めた二人が、 『なぜ日本人の身体は弱くなったのか?』過保護状態の21世紀の日本を憂いてその「因果の因」を探り、その解決策を示している。野生の時代を生き抜くヒントがここにある!
ひとことでいうと『理』ではなく『感』を磨け!ということだろうか。そのエッセンスを紹介しよう。
(甲野)
囲碁で名人クラスの人間になると、あるところに打とうとしているのに違うところへ指が勝手に動いてしまうことがあるといいます。指運というそうですが、これも直感が突然閃いて「気がする」ところへ動いていったということでしょうね。
考えれば考えるほど迷いが生じ、選択肢が増えてきます。また、情報や知識がたくさんあるとそれもまた新たな迷いを生み出すもとになる。ところが感じる力があれば、的を正しく射抜けます。
(桜井)
学ぶということは本来、高度なレベルに行こうということだと思います。でも「偉くなりたい」とか、「収入を増やしたい」とか「安定したい」とか私欲で学び、上に行こうとしている人が大半です。でもそれは上でもなんでもない。求めるべきは安住や安定ではなく、試練や困難なんじゃないでしょうかね。むずかしいところ、厳しいところ、危険なところに向かっていかないと人として上にはいけないと思いますね。
(甲野)
子供が何かショッキングな事件に遭遇したら心のケアをどうするかというような事を最近はすぐ言いますが、そんな取ってつけたようなことをするよりは、自分が身体を動かさないと。もう飢えてどうにもならないという状況に放り込んだらいいんですよ。そうやって心の不安やトラウマなんて気になるどころじゃないような体験をさせた方がよっぽどいいと思いますよ。それこそ昔、戦争のときに焼け出された戦災孤児とか、飢餓の中でもっと過酷な体験をしたような子供にいちいち心のケアとか言っていたのかということです。悲惨な目にあった子供が、そのトラウマでみんなおかしくなっていたら、人間の歴史はこんなに続いていなかったでしょう。
(桜井)
生きているってことは、もうすでにリスクのあることなんですよ。生き物は絶えず食うか食われるかの生存競争を繰り広げているじゃないですか。人も生き物なんだからリスクを味わって楽しまなきゃ。私はとくに困難な状況や危ないものが好きなんですよ。困難は友達だと思っているくらい。火中の栗があったらわざわざ拾いに行く性質ですから。
厳しい道とやさしい道があれば、厳しい道を選ぶべきなんですよ。みんなやさしい楽な道を選ぼうとしますけど、そういう道ばかり選んでいるがら、結局後でどんどん厳しい道を歩くことになるんです。厳しい道を選んでいると、厳しい局面に出くわしても、それが楽に対処できるようになるんです。
(甲野)
人間関係を作っていくことは、そんなパッと手軽に便利にできるわけじゃない。恋愛で突然、誰かを好きになるということはあっても、親しい人間関係は長い時間をかけて築いていくわけです。すると他のあらゆることが便利になっているのに、人間関係だけは手間がかかってしょうがないというそのギャップで神経がおかしくなる。ちょっとしたことでキレて攻撃する人、女性の育児放棄などもそうですよね。
(桜井)
便利な感覚を追い求めていくと、人間関係も便利にしようという感覚になる。だから「利用できる人となるべくつき合いたい」となるんだと思います。便利な環境が人間関係を不便をしている。
「何かわからないけど、あそこへ行くとなぜか嬉しい気分になる」とか「彼の顔をみればホッとする」って言われる人間になれば、それはもう大したもんです。
若い人たちにとにかく私が言いたいことは、何かトラブルが生じたとき、「あいつに行ってもらえれば安心だな」といわれるような、そんな人間になれってことです。
(桜井)
公園でもキャッチボール禁止というんだから、びっくりします。キャッチボールっていうのは大人になっていくための一種の儀式の意味合いもあると思うんです。相手がミットを構えているところに言葉を投げる、それを受けてまた相手がとりやすいところへ言葉を放り返す。ところが、みんな言葉のキャッチボールが下手でどうしようもない。暴投をしょっちゅうしてケンカになったり仕事のトラブルになったりするわけです。
(甲野)
自分がちょっと手を伸ばせば撮れるボールなのに、相手にブーブー文句を言う。あるいは反対にストライクゾーンを大きく外したボールを投げておきながら、それをこぼした相手を責める。クレイマーもそんな身勝手なタイプが多い気がします。
(桜井)
確かに、現代はいろいろな意味で困難さに満ちた時代だと思います。「人が人として生きることは、それだけですごい」ということに気づけば、それは誰がなんと言おうとこの世界を見事に生きているんだと思います。みんな、人より抜きんでよう、勝とうとして、華やかなほうにばかり気を取られて、足元の生活をおろそかにしている気がします。でも当たり前の日常というのは奇跡のようなことなんですね。そこにこそ生きる根っこがある。それは根であるゆえに深い。深いというより無限の長さを持っているかもしれない。そのことにいつも素直に驚き、感動できればいい生き方をしていると思いますね。
(甲野)
体育というのは、他の国語、算数、理科、社会とは分けて考えるべきだと思います。単純に走ったり、ボールを投げたりというのでなく、身体を通して人間関係やら社会やらいろいろなことを学ばせる。山や川に行ってその中で自然と向き合いながら、理科を教えたりする。小学校の低学年では、体育と国語と歴史があれば十分だと思うんです。つまり、算数も理科も社会も歴史のなかに入れて関連付けて教えたらいい。
ん〜。響くなあ…。確かに、今は便利になりすぎちゃっているから、人間の本来持っている動物的なものが失われているんだろうね。(^^♪
『身体から革命を起こす』 甲野善紀
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080426
『運命を変える本物の言葉』 桜井章一
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20071122