「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう」(阿久悠)

    


歌謡曲の時代―歌もよう人もよう (新潮文庫)


このブログで阿久悠氏を取り上げたのは3回目。私が最も尊敬する作詞家の一人。(^^♪


勝手にしやがれ」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「ペッパー警部……。今も人々が口ずさむ、五千を超すヒット曲を作詞し、平成十九年に世を去った阿久悠氏。「歌謡曲は時代を食って巨大化する妖怪である」と語った稀代の作詞家が、歌手との思い出、創作秘話、移り行く時代を、鋭く、そして暖かな眼差しで描く。歌謡曲に想いを託し、日本人の心を見つめた稀代の作詞家が残した時代へのメッセージ。


このエッセーがオモシロイのは、かつて書いた詞のタイトルを、現在のエッセーの題名として使うとしたら何が見えますか?ということで始まった企画になっている。だからたいていのものが二つの時代をまたがっているのだ。昭和が思い出されるね〜!(^◇^)その一部を紹介しよう。


謡曲という言葉が使われなくなってから久しい。謡曲という言葉が死語になったかというとそうでもなく、多くの人は知っているのだが、存在が薄くなったということである。
昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。それを「私の時代」というのかもしれないが、ぼくは、「私を超えた時代」の昭和の歌の方が面白いし、愛するということである。


どうにもとまらない(山本リンダ 昭和47年)…もしも仮にこの曲が「恋のカーニバル」というタイトルであったとしたら、この歌の運命は全く違うものになっていただろうと思う。「どうにもとまらない」がヒットしたのは、田中角栄内閣が誕生した年。最初は「恋のカーニバル」だったのだそうだ…。レコーディングが終わって考えが変わったのだそうだ。出来上がった楽曲の面白さ、歌唱のユニークさに比べて、いかにもタイトルが平凡に思え、詞の最後の部分をそのままタイトルに使った。それが大ヒットに寄与したのはいうまでもない。


わたしの青い鳥(桜田淳子 昭和48年)桜田淳子を見たときの第一印象。「あのこ、音痴でさえなければ合格させたいね」とプロデューサーに言った。そして本番で彼女は、さして上手ではないが音痴でもなく、圧倒的に人の目を惹いて合格した。

♪ようこそ ここへ クッククック わたしの青い鳥……。この時代、まだ、「幸福」とか「夢」とかが、コトバとして存在した。その頃の幸福は十人十色、一人一人が微妙に色の違う、鳴き声の違う青い鳥を求めていたため。それぞれがそれぞれないり幸福だった。だが、今は幸福や夢は心ではなく、形だといい、ハンドバッグやブーツが幸福ジルシだと叫んでいる…。


やはり阿久悠氏の決め細やかな言葉は仕入れになるな〜!(^◇^)


阿久悠 オフィシャルホームページ「あんでぱんだん」
http://www.aqqq.co.jp/index.html


    


歌謡曲の時代―歌もよう人もよう (新潮文庫)