「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「生きっぱなしの記」(阿久悠)

 


生きっぱなしの記


明治大学の大先輩である阿久悠さんの著作、読破を目指している。この本は日本経済新聞連載私の履歴書に書き下ろしを加えて単行本化。「歌は言葉。今日も書く、死ぬまで書く。真空の時代に言葉をなくした日本人へ」阿久さんの人生は、休むことなく、走りっぱなし、生きっぱなしだった!そのエッセンスを紹介しよう。


・ぼくは就職課のすすめに何か気持ちを動かされるものがあって、広告代理店の宣弘社を受験した。一説によると、昭和33年に広告代理店は一気に増え、東京だけでも500社近くあったそうである。就職課の壁一面に何百社分かの募集要項が貼ってあった。採用は5人だというのに130人が応募した。しかしぼくは運がよかったのである。試験問題は英語でも、時事問題でもなく、すべてが作文であったのである。あとになってわかったことだが、そのような試験問題はあとにも先にもその年だけだったということだから、ぼくをそういう世界に引き入れるために、誰かが企んだようにさえ思えたのである。


ビートルズがあの時代に華々しく誕生し、世界の若者と同様に日本の若者も熱狂したために、ぼくらフリーランスの作家が、レコード製作に関われるようになったのである。流行歌と全く質の違う音楽が主流になったため、レコード業界の強固な専属制度は崩壊したのである。ブームを支えた若者たちは、聴くだけではなく、創りたいし、歌いたいし、訴えたいし、主張したいし、目立ちたかったのである


・作詞家でいえば、橋本淳、安井かずみなかにし礼山上路夫、そして遅れて来たかたちではあるが、阿久悠も加えていただこう。作曲家は、筒美京平すぎやまこういち、鈴木邦彦、村井邦彦大野克夫井上忠夫加瀬邦彦、さらに三木たかし、都倉俊一、中村泰士、川口真、森田公一ら。とてもとても半素人とか、アマチュアで片付けられない才人たちが、どっこい歌なら何でもやつ、時代が呼吸する限り歌はあると、新鮮な作品を発表しつづけ、1970年代を作家の時代にするのである。



「歌謡曲らしくない」とか「歌らしくない」と時々言われたが、らしくないものを発見したり、書いたりするのぼくの個性だと思っていたから、そんな時は、ああ、そうですかと言って引き退った。そのことで論争する気はさらさらなかった。まだそれほど作詞に対して本気でなかったのであろう。


・ずっと昔、昭和24年、ぼくが12歳の時から美空ひばりはぼくの頭上にあった。なぜなら、美空ひばりとぼくとは全くの同年であるからである。同年であることによる尊敬、羨望、畏怖、劣等意識、見栄、維持、野心、誇りなどが何十年もつきまとい、とうとう作詞家として立つときのテーマとなってしまった。


・小学校5年の時に、「君の文章は横光利一を思わせる」と言ってくれた先生と、「あなたは大丈夫よ」というおよそ根拠のない妻の保障と、「お前の歌は品がいいね」と一回だけ褒めてくれた父の言葉と、この三つを心の支えとして今日までやってきた。


上村一夫との出会い」は衝撃的だったんだねえ……。特に70年代歌謡曲全盛の時代が懐かしいなあ……。オススメです。(・∀・)


 


生きっぱなしの記