さて、神保町の古本屋街で見つけたのが、この本。ナント!昭和47(1972)年5月30日初版だから、50年前だよ!!!
・この本でいう“作詞家”とは、自己満足型や自己陶酔型のアマチュアではなく、年間何十曲というヒットソングを創り出せるプロの作詞家のことである。
・つい最近、あるレコード会社の人から「日本には、どうして『愛の讃歌』のような歌ができないのだろうか」といわれたことがある。それに対して、ぼくは、「日本には、本来、愛というものがないから」と答えたものである。日本には、恋も愛もないのではないかと考えている。あるのは、男と女の縁(えにし)であったり、絆であったりで、恋というものとは、また違う気がするのだ。
・詞を書くのに、ぼくは何がなんでもタイトルから決めてしまう。コンピュータ的分析で、雰囲気や狙いは決まっている。頭の中にハッキリした映像もある。そこで『また逢う日まで』とタイトルを決めるのである。
・いちばんいい勉強になるのは、テレビだった。テレビには、あらゆる要素が入っている。同時性、広告性、音楽、ニュースー物を書くという本来の勉強もできるし、コミュニケーションの勉強もできる。
・『また逢う日まで』は、実は、ズーニーヴーが歌った『ひとりの悲しみ』という歌の、詞だけを変えたものである。メロディもアレンジも、ほとんどそのまま使った。なぜ詞を変えたか。それは時代性である。なぜ売れたか。これもまた時代性なのである。たった一年後には『また逢う日まで』の大ヒットとなった。なぜ詞を変えたのか?それは70年と71年の違いだと答えることにしている。もう一つはズーニーヴーがグループで、尾崎紀世彦が大人のソロシンガーだという違いであろう。
・『ピンポンパン体操』は、歌としては特殊なもので、テレビの幼児番組の中の体操の歌としてつくった。体操というからには、アクションがしやすくしなければいけない。どうやれば面白いアクションにつながるかということを第一のポイントに考えた。だから、普通の構成でなく、一、二、三番とあるメインの詞の間に、まったく関係ない詞がポンポン入っている。全体が一つのミュージカル構成みたいなものである。
・二〜五歳の子どもがいちばん喜ぶもの、彼らの中にいちばん強く印象づけられるものは何か。それは、ドリフターズとコマーシャル・ソングと、怪獣である。こんなにサービスした詞は他にない。“ズンズン……”というのは、ドリフターズのパロディ。子どもは一個100円のオモチャを100個もらったほうがいい。この歌は、決して高級品ではない。そのかわり、100円のオモチャがいっぱいつまっているオモチャ箱である。最後に“体操ありがとう”という。子どもは、なぜ“ありがとう”というのかわからない。なかなか“ありがたいです!”といわない。アタマの“ズンズン……”というのがある。これは、書くときに、頭の中でズンズンと歌ってみて書いているのである。これに小林亜星さんが、まったく正確にメロディをつけてくれた。神業である。この人はおそろしい。感覚的にも新しいし、この人にとって、曲をつくるうえでの不可能はないといっていい。
・とにかく本を読むことである。活字を主食とする怪物になったつもりで、食って食って食いまくることである。文学書よし、哲学書よし、時刻表から旅行案内、土地の契約書、何でもいいのである。いつか生きたことばになって、よみがえってくるはずである。
・日記を書く余力があるのなら、一日一テーマのコラムを書くべきである。その日のうちで、いちばん書いておきたいこと、感じたことをテーマにして、社会的な広がりを持ったコラムに仕上げることをすすめる。
・ぼくは、テーマ選びの基本姿勢として、時代の飢餓感を見きわめ、とらえることをいちばんに置いている。今の社会でいちばんほしいものは何なのだろうか。それは愛なのだろうか。やさしさなのだろうか。陽気さなのだろうか。激しさなのだろうか。新しさなのだろうか。古さなのだろうか。便利さなのだろうか。不便さなのだろうか。無限にあるそういったものを、常に社会の動きを見ながら考えているのである。
「たくさんのひきだしを作るために」「ボキャブラリーを豊富にしよう」など。
50年前とは思えないほど新鮮な内容だ。言葉に研ぎ澄まされるなあ。オススメです。(・∀・)