- 作者: 後藤正治
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2003/12/16
- メディア: 新書
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昨年末に箱根駅伝ミュージアムに行って、長距離ランナーの栄光と苦悩を目の当たりにしてきた。
箱根駅伝ミュージアム
http://www.hakoneekidenmuseum.jp/
そしてこの本は、日本の傑出したマラソンランナーたちが生まれた時代背景、ランナーの想い。彼らが闘ったレースとその肉声に迫りつつ、日本マラソン百年の変遷を辿る異色の本だ。
体調、故障の程度、気温・湿度、舞台、走るメンバー、レース展開などランナーにとって全てに好条件が揃うのは「10回走って一度あるかどうか」なんだって。
・1912年のストックホルム五輪に日本人として初めて参加した「日本マラソンの父」金栗四三(ながぐり・しそう)。当時の選手たちは、「脂抜き走法」をでレースに臨んだ。当時は、汗をとればとるほど身体は軽くなり、そうしないと長距離はもたないと信じられていた。もちろん、レース中の飲食はタブー。運動生理学の知識もない。不慣れの長旅と食事で体調を崩し、ストックホルムの坂のの多いコースと石畳の日に足袋は破れ、腹痛も起こり32キロで倒れ、棄権…。(>_<)
後日談があって、1967年75歳の金栗はスウェーデンのオリンピック委員会に招待され思い出のスタジアムで、ゴール前から走ってテープを切った。場内のアナウンスは「日本の金栗、ただいまゴールイン、時間は54年8ヶ月6日…」という洒落たものだった。(^◇^)クウ〜!!!
・私の世代のヒーローは、瀬古利彦だ。彼の強烈な強さは今も脳裏に残っている。
瀬古利彦と恩師の中村清氏との関係は、それははるかに超えたものだった。中村なくして瀬古利彦はない。その出会いもまた宿命的だったといえる。
『一見、さわやかで穏やかな表情の裏側に、炎のような闘争心がひそんでいる。またたきもせず前方を見つめる視線に、本物の光が宿る。私は穴のあくほど瀬古のフォームを見つめながら、突然、「この若者こそは、神様が私に与えてくれた最後の宝物なのだ」との思いがひらめき、息をのんだ』。
そして中村は、「マラソンを走りなさい。この中村が命懸けでやりますよ。腕一本、いや命を賭けてもいい」このオッサン、いきなり何をいってんだと思いつつ、その迫力に思わず、瀬古は「お願いします」と答えていた。すごいクロージングだ!\(◎o◎)/!この時、中村62歳、瀬古19歳であった。
瀬古はずっと友人も彼女もいなかった。できるための時間がなかったからだ。「風呂とトイレと寝るとき以外はいつも一緒」とも言われ、「一卵性師弟」と言われた。
その瀬古はマラソン15戦して10勝。しかし、残念ながらオリンピックでは勝てなかった。
瀬古は言う。 「マラソンは、練習量を重ねたものが勝つ。素質ではなく、努力に比例して結果が出る。公平なんです。運、鈍、根の世界であって、それをやり切れば普通の女の子だって勝ててしまう。それがマラソンのおもしろさじゃないでしょうか」
小出義雄監督が有森裕子に言った言葉。「有森よ、お前ほど練習した選手は世界におらん。それだけは自信をもっていいぞ。マラソンは練習したものが勝つ!」
にゃるほど〜!確かにこの本を読むと有森裕子も高橋尚子も、学生時代は目立ったタイムを残していない…。マラソンは人生に例えられるけど、センス、才能、能力じゃないね。練習=繰り返し反復なんだね。(^◇^)オススメの本!