「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜至高の名言集…『運命を変える本物の言葉』(桜井章一)

運命を変える本物の言葉

運命を変える本物の言葉

このブログではおなじみの20年間無敗の雀鬼桜井章一氏。今年は、桜井さんの本にはシビレまくったなあ…。(^_-)-☆まさに人生の達人の風格が漂うね。5冊目の著書の紹介。ここでもツキを味方にするツボとコツが満載だ。桜井効果か、私の今年の懸賞当選も、現在46個め!まさに、ツイ輝だよね〜。ちょっと長くなるんだけどピーン!と響いたフレーズを全部載せちゃおう!(^◇^)


運は汚いことや卑怯なことを徹底的に嫌う。運に好かれたいと思ったら、汚いことや卑怯なことは絶対にやってはならないということ。運に好かれたいと思ったら、いつも自分の良心に従って、キレイで正しいことをすること。


大多数の人が安定志向で無難な人生を歩みたがるが、それはいいことなのか?
人と違った道というのは、すでに誰かが歩んだ道ではなく、自ら切り開く道。多数の人が歩く道が、「見える道」だとすれば、こちらは、「見えない道」だから平坦でないことも想像がつく。そこに踏み込むには勇気がいる。若い人には、自分だけの「見えない道」を選んで、自分だけの何かをして欲しい。
なぜなら、みんなが同じみんな同じ「見える道」を歩もうとするとその道が荒れてしまうからだ。


・ほんの些細な変化に気付くか、あるいは見逃すか。これが大きな違いになる。顔色の変な人や困っているお年寄りに気付いたら、声をかける、雨が降りそうなら傘を持って出る。些細なことに気付く感性とそれに対する自然な行動から運は開けていく。


・姑息に勝ちを拾いに行く人よりも、キレイに負けることのできる度量をもった人の方へ、運の波は最終的に多く訪れるもの。


負のエネルギーは、正のエネルギーよりも強烈。だから決して飲み込まれてはならない。
人間を変えてしまうのは負のエネルギー。歴史を振り返ってみても、紛争や改革のい類が正のエネルギーによって起こされた例はない。


「悪」を知らない人間が悪いことをしてしまう。
「悪」の部分があって「悪」を知っているからこそ、「あ、これは悪いことだからやってはいけない」と気付くことが出来る。子供のときに、あれはいけない、これはいけないと縛られて、善と悪を学ぶチャンスを奪われてしまうから、善と悪の区別も出来ないまま大人になって、今度は本当に悪いことをしてしまう。


・相手のことばかり読み取ろうとするコミュニケーションは失敗する。何か得ようとする気持ちばかりでも何も与えなければ、相手も何も与えてくれない。自分をごまかさないで、相手に何かを与えようとする人を運は好む。


自分に何かよくないことが起きたとき、外にその原因を探しているようでは人は進歩しない。
人間は選択する動物。二者択一で、たとえ結果がマイナスに出ても、自分で選んだものは自分で責任をとる気持ちがあれば悔いは残らないはず。結局悪いのは自分なのだから。


・いま、心を病んだ若者たちに必要なものは、人の「情」である。子供のときにもらえなかった「情」をいま誰かがまわりの大人があげればいい。


考えるな、感じろ! では何を感じればいいのか。それは周りの人たちのこと。まわりの人たちが少しでも明るくなること。楽しくなることを感じればいい。感じたら、瞬時に行動に移す。そこには雑念など入る余地はない。


・大人にとっては従順な子供の方が都合がいいが、従順になってはダメだ!一方的な押し付けではなく、常に考える機会を与えてくれる指導者が本物だ。


力を100%出し切ったときに80%だと思えれば、もう20%余力がある。勝利に関しても、常に、「腹八分目」の感覚がいい。余力のない完全主義ではもうあとがない。たとえ全力で頑張ったとしても「自分はまだ80%の力しか出していない」と自ら暗示をかけることで、もっと上を目指すことが可能になるのだ。


屁理屈や小ざかしい計算で誰かが傷つくことを想像したことなないだろうか?
子供の給食費を払わない親があると聞く。クルマを買うお金はあるのに、パチンコをするお金はあるのに、給食費は払わない。どうなっているのか?
いずれにしても、そのことによって、自分の子供が傷ついているということにその親たちはまったく気付いていない。きっとその子は何もなかったように学校から帰ってきて、親に文句のひとつもいわない、その子にとっては大切な親だから。自分の屁理屈や小ざかしい計算が、自分の子供をズタズタに傷つけていることに気付かないこの鈍感さはすでに犯罪だと思う。


・上品な服を着れば、上品になれるということはない。
イエローハット鍵山秀三郎相談役。「上品でない人は下品です。中品というのはありませんから。」


気持ちのいい動きをするだけで、マナーやルールがあとからついてくる。昔の「江戸しぐさ」のように。何かのためにこういうしぐさがあるのではなくて、こういうしぐさをすることで他者への思いやりや気遣いといったものが自然とついてくる。まず、気持ちのいいしぐさがあれば、心はちゃんとあとからついてくる。


・自然界にも矛盾がある。しかし、それを矛盾だというのは人間だけ。
人間というものは凹凸の立体だから矛盾がある。背中とお腹のように常に裏と表がある。背中だけでは生きられない、お腹だけでも生きられない。手にも甲と平、足には甲と裏がある。それで初めて機能する。人間がもともと相反するもので成り立っている以上、心のなかに相反する両方を抱えているのは、自然なことなのだ。


・良いことも悪いことも、激しいことも静かなことも、両極端を清濁併せ呑む度量があるので、どちらに大きく振られることを制御できる。


不安から逃げても、不安はなくならない。不安と向き合えば、やがて安心がやってくる。
不安に直面すると、そこから逃げたくなるのが人情だが、それでは何も解決にならない。不安から目をそらさず向きって闘うことで人は強くなれる。


何事にも基本の手順がある。それを無視したらものごとは決してうまく流れない
最近の若者は、火のおこし方をまったく知らない。「なかなか火がつきません!」というので、見ると初めから大きな薪を燃やそうとしている。火をおこすときは小さな木切れから始めて、徐々に木切れを大きくして燃え移らせてやる、それが焚き火の基本というもの。何事にも手順というものがある。運の流れというのもこの火のおこし方とよく似ている。運の大きな流れを感じ取ろうと思うのならまず、小さな流れに気付かなければいけない。こうした小さな変化を敏感にとらえられるようになると、次にどんな変化が訪れてくるのかを予測する感性も養われてくるのだ。


相手を不愉快にさせるようでは、勝負の前に負けている。「準備」ができていないから、ものごとの本番でオロオロしています。「実行」がともなわないから遅刻するし、想定外の出来事にはまったく対応できない。「後始末」が出来ていないから次も失敗する。そういう悪循環を繰り返すのだ。


ハア〜!!!(>_<) スゴイ!まるで求道者のようだ。心に響くなあ…。今度セミナーでも使ってみよう。