「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜わが野球人生の実記…『風雲の軌跡』(三原脩)

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西武ライオンズが来年から埼玉西武ライオンズになるらしい。その昔、福岡に西鉄ライオンズという球団があった。そして西鉄黄金時代の伝説の監督が「魔術師」「知将」の異名をとった三原脩だ。その後6年連続最下位だった大洋ホエールズの監督になり、いきなり開幕6連敗の最下位からチーム初のリーグ優勝、そして日本一に導いたなど、その手腕は、正に名将だ。
この本は彼の自伝だが野球ファンはもちろん、野球をご存知ないビジネスマンにもオススメする。彼の発想、メンタル、リーダーシップはきっと多くの仕入れになることだろう。


彼の人生は終生のライバル・水原茂とともにある。1931年春季の早慶戦、投手・水原茂を相手に敢行した勝ち越しホームスチールは、早慶戦史に名を残している。その写真が巻頭に載っているんだけど、カッコいい!今でもホームスチールなんてなかなか見られないよね〜。(^^♪

当時の東京朝日新聞飛田穂洲氏は、『意表に出たこのプレーは、その成功によって、一面早稲田の勝因というべきであるが、左打者をボックスにおいての冒険は定法外れであり、ここに慶応バッテリーの不用意があったものと思われる。』


彼はいう。『クライマックスがヒーローを生むのではない。クライマックスを作り上げる人がヒーローになる。、それが運をつかむことでもあった。』
そして、『私の野球原点がここにある。定石通りにやれば同じ結果しか求められない。意表をつくことが意外性をはらむ。人のやらないことをやるのも大切なことである』なるほど!!!正に『想像の外側』だね〜!\(◎o◎)/!


昭和31年の巨人との日本シリーズ第一戦。戦前の予想は圧倒的に巨人有利。巨人・水原監督はエース大友工。とろこが西鉄の三原は20勝投手が3人いたのにも関わらず、勝ち星からすると平凡な川崎を送り、全投手にウオーミングアップを命じた。彼の作戦は、ひとりでも多くの投手を登板させ、その中から巨人に通用する投手をみつけようとした。相手は鉄壁の巨人軍だ。普通の戦い方では負ける。まず、選手をリラックスさせること。そうすれば、きっと獅子は敵を倒すだろう。この作戦が当たり、見事日本一に!


この時、三原が唱えたのは『偶数回戦必勝論』。つまり第二戦、第四戦、第六戦を落とすなということ。第一戦必勝で来るのは勝利の常識、奇数回数をとることは先手をとることになろうが、その分連勝しなければ先勝の重みがなくなる。第一戦必勝主義は一気に勝負を決めるためのチーム力や実力が要求される。その点、偶数回数は気が楽。追いつけばいい。常に先行する相手を標的にして戦える。この考えはのちの2戦目重視主義のルーツともいえる。


三原が唱えた遠心力野球。選手は惑星である。それぞれが軌道を持ちその上を走っていく。この惑星は気ままで時には軌道を踏み外そうとする。その時発散するエネルギーは強大だ。遠心力野球とは、それを利用して力を極限まで発揮させる。やりたいことはやってもいい、いいたいことはいいなさい、が、与えられたことは、きっちりやらねばならない。それが大前提としてある。これに対して求心力野球がオーソドックスな普遍的な野球。南海・鶴岡一人、巨人・水原茂川上哲治という名将の方法。大目標に向かって、心をひとつにして突進する。求心力が「管理」を体質とするのにたいして、遠心力は「個性」を尊重する。


「私の戦争体験とは?つきつめていけば生きるための闘争経験といえようか」「野球は筋書きのないドラマである」これを最初に語ったのも三原だ。野球の魅力の本質をあらわす言葉として好んで使われる。ん〜…実に深い…。名著だ!(^◇^)