「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「オレが許さん!波乱万丈交遊録」(豊田泰光)


オレが許さん!波瀾万丈交友録―語り継ぐべき昭和の先達


年間、野球関連本は50冊くらいは読むだろうなあ……どれだけ野球が好きなんじゃい!!!(・∀・)

この本は、ワタシの好きなトヨさんこと豊田泰光さんの本。「マスコミの世界で私がモットーとしてきたことは、思っていることを言う、思わないことは言わないという」モットー。その代表的なものを紹介しよう。


【監督 三原脩


昭和31(1956)年10月10日、日本シリーズ第一線の後楽園球場。西鉄ライオンズ三原脩監督はこのとき、プロ野球の歴史を動かす名文句を言った。

ジャイアントは日本で一番いいチームだ。そして強い。この日本一のチームと君らは試合をするのだ。よく見ておきなさい。今日は負けてもいい。でもよく見ておきなさい」三原さんの眼光はおだやかだったが、静かな迫力に満ちていた。三原さんは巨人をいつもジャイアント」と呼んでいた。「巨人たち」ではなく、わざわざ単数で「巨人」と呼ぶところに、三原さんの愛着とこだわりを私はいつも感じていた。



当然のように「やっと悔しさを晴らすときがきた。今こそ巨人を倒せ」という敵がい心に燃える言葉を予想していたのだ。負けてもいいと言われ、私たちは拍子抜けした。だが、ここに「魔術師・三原」の一世一代の冴えがあったと思う。

三原さんのチーム管理の根幹はどこにあったか。それは選手を大人として扱い、選手を考えさせ、自主性を引き出すところにあった。そのための「足かせ」は最低限必要なものだけにとどめていた。

選手がベンチの手足となって、強い管理下に置かれる野球を、三原さんは「求心力野球」と呼んだ。そして自らはその対極にある「遠心力野球」を目指した。選手ひとりひとりの能力と個性が外へ外へと広がっていくことで、全体でより大きなパワーが生まれるという野球だ。


【魔球 杉下茂



杉下さんはフォークボールを多投しなかった。いや、ご本人の口から聞いたのだが球種が好きではなかったのだ。「だって、フォークボールはどこに行くか、変化が計算できないんだよ。コントロールできない球をオレは好きじゃないんだ」これが杉下流の美学なのだ。

こういう完璧主義者の杉下さんらしいお遊びの話。ある試合で、初回のワンアウトがピッチャーゴロだったとする。すると杉下さんは、次はキャッチャーフライにしたくなる。成功すると今度はファーストに打たせて、その次はセカンドだ。つまり最後はライトフライの「9」で終わり。アウトをひと回りさせたくなるというのだ。「あのなあ、何べんレフトまで行ったか分からん。ところがそのあとが続かなくてなあ。あれ、オレの趣味だったんだ」まるで野球すごろくだ。打たせないのではなくて、狙ったところに打たせていくのだから始末が悪い。こんなに恐ろしい人を相手にしたのかと思うと、今でも何だかぞっとしてくる。


古き良き時代のプロ野球手っていいよねえ。野球ファン必読。オススメです。(・∀・)



オレが許さん!波瀾万丈交友録―語り継ぐべき昭和の先達