いいわー!近藤唯之さん、いいわー!フツーのスポーツドキュメントとはひと味もふた味も違うわー。取材力なのかな。ネタの面白さがダントツっ!!!
「戦後最初にバットの素振りを始めたのは川上哲治選手だった。西鉄黄金時代を築いた三原脩監督は名古屋の旅館で女風呂を覗いた。プロ野球史上最高得点で大学に合格したのは上田利治だった―節目となった大事件はもとより、個性的な選手・監督たちの様々なエピソードを満載し、戦後プロ野球50年の歩みを一気に総括。読んで面白く眺めてためになる書下ろし近藤版プロ野球戦後史」そのエッセンスを紹介しよう。
復活プロ野球のなかで、技術革命を起こしたのは“ポンちゃん” という人物である。ポンちゃんの出現で日本中が湧きに湧いた。 その衝撃度というか、驚愕度というのは、 いまの人間には想像もできない。例えると、 松井秀喜が本塁打第一号を打った瞬間の、 100倍の感動といっていい。 ポンちゃんの技術革命は本塁打である。 それもただの本塁打ではない。 45度で舞い上がった打球が着弾するまで、5秒、6秒、 7秒と時間のかかる、高仰角放物線をえがく本塁打だった。
・「オレってやっぱり日本人なんだなあ。 背骨がじーんとしびれるものーこのメロディを聞くと胸が熱くなる 。日本人はやっぱり“君が代”なんだよなあ」 長嶋がため息混じりにこのセリフを吐いたとき、 長嶋の隣りいた若い新聞記者が、びっくりして長嶋に話しかけた。 「長嶋さん、これ“君が代”じゃあ、ありませんよ。“蛍の光” ですよ」私も半世紀以上、日本人をやっているが、“君が代”と“ 蛍の光”を間違えたのは、長嶋ひとりしか知らない。
「月見草がひまわりを超えた」
・王のいうプロ野球真剣論を野村は否定して、 これからのプロ野球は真剣だけでは通用しないという。 何度も書くが真剣にプラス、 最高の技術に裏付けされたショーアップがなければ、 プロ野球は生き残れないと主張する。監督という立場にいて、 これだけの姿勢、持論を吐いたのは、 プロ野球半世紀以上の歳月を振り返って、野村ひとりしかいない。 川上も長嶋もひとこともこのことには触れていなかった。
昭和53年、野村はロッテに移り、翌54年、 こんどは西武に移った。幹部待遇ではない。一兵卒扱いである。 野村は、新幹線はグリーン車以外の指定席、バスは最後尾、 そして宿舎の部屋割りはもっとひどく相部屋。 昨日までの御大将が、一夜明けてみたら足軽扱いに落ちていた。 これはまだいい。野村が骨身にこたえたのはミーティングだった。 自分より実績のないコーチたちの話に耳を傾けなければならない。 いいたいことは山ほどある。それを呑み込んで黙って働く。
この納得のいかない現象、 不満があるひとつの考え方をつくり始めた。「 プロ野球は野球をやるだけで、野球を見せてはいないんだ。 客に見せる、客を魅せるのではなくて、 勝つためだけに野球をやっている。だからプロ野球6球場全部、 客が超満員にならなくても、関係者、現場に危機感がないんだ」 ショーアップ論の芽ばえである。
いま世間の男はやたらに笑いたがる。 笑うことの評価が必要以上に高すぎるのだ。 野村はあまり笑わない。へらへら笑わない。 無愛想な表情で一年中すごす。しかしプロ野球全体のことを、 いつも考えている。プロ野球ショーアップ論をまじめに、 無愛想にとなえつづけるのは、野村ひとりしかいない。
その他、「川上3万円ホールド・アウト事件」「戦後、一番早く“素振り”をやり始めた日本人は、川上」「1リーグ時代の象徴はバット」「巨人軍戦後第一期黄金時代とプロ野球を変えた男(与那嶺要)、それに挑戦した男(木塚忠助、杉下茂)」「史上最強球団、西鉄ライオンズ3連覇時代(西鉄は旅で衰亡した)」「昭和プロ野球史上最大の名勝負・名場面」「あれから33年、まだ和解しない柳川事件」「綱渡り・王貞治の一本足打法誕生秘話」「遂にドラフト制度・会議始まる」「暗黒時代プロ野球光と影」「最後のサムライ 日本武士道からアル・カポネまで(永淵洋三)」「巨人V9no裏側大戦略 なぜV9はつづいたのか」「王貞治対ハンク・アーロン世紀のホームラン競争」「社会的現象となった江川問題」「史上NO1頭のいい上田利治と阪急V3物語」「戦艦大和(巨人)沈没 セ・リーグ叛乱」「科学と伝説のヒーロー村田兆治投手の激動人生」「還暦すぎの新戦略 パ・リーグを背負う大沢啓二監督」「落合博満・巨人軍入り」「プロ野球新時代への幕開け(王貞治と江夏豊のトレード!?)」など。
どのエピソードも秀逸だね。元祖二刀流で首位打者「永淵洋三」実際に見たかったなー!♪ 野球ファン必読!オススメです。(・∀・)