「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」(池間哲郎)

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日本はなぜアジアの国々から愛されるのか

日本はなぜアジアの国々から愛されるのか

  • 作者:池間 哲郎
  • 発売日: 2013/08/10
  • メディア: 単行本
 

 

30年以上、アジア各国で支援と交流を続けてきた池間哲郎さんの本って勇気づけられるよね。日本人の誇りと自覚を改めて感じる。特に若い人には読んでもらいたいよね。そのエッセンスを紹介しましょう。

 

カンボジアの故シアヌーク前国王は、日本の敗戦後、完全に落ち込んでいる時に、昭和天皇を励ましに来てくださった初めての国王だシアヌーク国王は日本への戦後賠償請求を放棄し、日本を支えた。カンボジア国民も親日的で、日本に対する信頼は厚い。長い内乱を経て、1975年からポル・ポト派が実権を握ったわずか3年半で、約800万人の国民のうち200万人ともいわれる人々が虐殺され、国土は荒れ果て崩壊した。その時、国際援助で駆けつけてきたのは日本の自衛隊地雷撤去や道路整備など自衛隊は大きな成果を挙げる。カンボジアの人々は、同じように戦争ですべてを失うも世界で有数の経済大国になった日本を尊敬し、「日本が私たちの見本であり希望である」と口々に語る。
 
シアヌーク殿下がプノンペンに戻られたその日シハモニ国王が生まれた。それ故に愛称で「TOKYOちゃん」と付けられた。
 
200年以上も続く企業が、なんと日本には3146社、ドイツ837社、オランダ222社、フランス196社、中国5社、と世界的に見ても断トツで日本が多く、世界全体の半数近くを占めている長寿会社上位3社はすべて日本。3社とも創業1000年を超える。100年を超える企業となると、日本の老舗の会社は2万7441社もある日本人の伝統を残す力、信用や技術を積み上げる継続力に感動する。
 
・外国人の接して、たまに聞かれるのが、「日本人って何ですか?との質問。ほとんどの日本人は返答に窮すると思う。カンボジア人は「偉大なるクメールの人々」スリランカ人は「われはライオンの子供」、ビルマ人は「仏を愛する人々」など、自国、民族の誇りを胸を張って答える、それから、いかに自分の国が素晴らしいかを延々と語る。「日本人とは?」と聞かれると、私は姿勢を正して太陽を愛する太陽の子供たち」であると答え、日の本の漢字の意味を説明し、太陽神天照大御神を語り、最後に「誇り高く高潔なる人々」と話す。すると、「オ〜」と称賛の声が上がる。その後の説明はいらない。日本人が、いかにすごいかはほとんどの方が知っているから。
 
「それでも日本を愛していますーパラオ」「自分の子供たちは、必ず日本へ留学させるーミャンマー」「アジアの人たちから尊敬される日本」「世界に誇る日本の食品技ー食品サンプル」「不安を感じる力は世界一」「岡部芳郎ーエジソンを支えた日本人」「高野虎市ーチャップリンを支えた日本人」「日本国民のためにー天皇など。

 

改めてこの事実を知らなければいけないよね。日本人でよかった!オススメです。(・∀・)♪

 

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日本はなぜアジアの国々から愛されるのか

日本はなぜアジアの国々から愛されるのか

  • 作者:池間 哲郎
  • 発売日: 2013/08/10
  • メディア: 単行本
 

 

「21世紀落語史 すべては志ん朝の死から始まった」(広瀬和生)

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小学校のクラブ活動で落語をやり、「疝気の虫」「ろくろっ首」をやって、中学では寿限無をやった。その頃、初代林家三平師匠が大好き。「笑点」では歌丸師匠と三遊亭小圓遊師匠とのやりとりにハマった。もちろん司会は三波伸介ねっ!(・∀・)

 

というように落語が好き。でもそれほど寄席には行っていないなあ。行きたいなあ……って思ったときに出会ったのがこの本。

 

「若者はなぜ渋谷の落語会にハマるのか? 「落語ブーム」はどう生まれたのか? 志ん朝の死」で幕を開けた21世紀の落語界――、その「激動の時代」の記録を後世に伝えるべく、現在に至るまでの出来事を、落語ファンとして客席に足を運び続けた立場から振り返り綴る。ほぼ毎日落語を聴く「BURRN!」編集長だから語れた「落語盛衰記」。今聴くべき演者がわかる、「にわかファン」にも最適な一冊!そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・談志をして「あいつは天下を取る」と言わしめた古今亭右朝(古今亭志ん八)志ん朝より5ヶ月速くなくなった弟子。52歳。
 
・談志、志ん朝逝去について「いいときに死んだよ。良かったよ。現在の演芸で金を払っても見たいというのは志ん朝だけ。現在の落語界で最高の芸を見せた見事な人生だったと言ってやりた。いろいろと想い出を感謝。でもまさか志ん朝が死ぬとは……いや人間、いつかは死ぬものなのだ」
 
・21世紀初頭に世間が落語というエンターテイメントを「再発見」したとき、その頂点には「全盛期」の談志が君臨し、落語の「凄さ」を見せつけた立川志の輔春風亭昇太に代表される「エンターテイメント性の高い落語」に魅力を感じて入門してきた人々は、高座に登場しただけで空気が変わる立川談志という得意な演者の存在を知り、「落語を超えた落語」の世界を垣間見たとき、落語という芸能の奥深さを実感したはずだ。
 
談志は、桂文楽三遊亭圓生柳家小さん古今亭志ん朝といった「わかりやすい名人」の系譜にはない。むしろ異端とさえいえる。その「反逆児」が、あの落語ブームの頂点に君臨したことは(本人が望むと望まざるとにかかわらず)落語というジャンルの可能性を大きく広げた。一昔前の「名人芸を極める」というイメージから大きく逸脱した談志の活躍こそが、20世紀とは一線を画する「21世紀の落語界」の空気感を生み出した。かつて落語が「能のようになる」ことを阻止した談志は、「全盛期」の活躍で落語を21世紀の芸能」として押し進めたのである。
 

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立川談春「誰が志ん朝師匠が63歳でいなくなると思った?本当に惚れた、自分がプロになるきっかけを作ってくれたような芸人の気概をね…引き継ぐ覚悟を真剣に持つか持たないかを、20周年を機に考えようと」落語を独自に発展進化させている人は大勢いるけお、残す・伝える・途切れさせない、ということに、私を含めて本気の噺家って一体何人いるんだろうね」
 
2005年に本格化した「落語ブーム」。それは「落語というエンターテイメントの再発見」だった。どうして2005年の落語界に「面白い落語家が大勢いた」のか。それは2001年の「志ん朝の死」があったからだ、と僕は思っている。志ん朝の余りにも早すぎた死は、残された中堅以下の演者たちに大いなる喪失感を与えたが、やがてそれは危機意識の芽生えに繋がった。志ん朝という「究極の理想形」を失ったということは、特に落語協会の若手にとっては「目標を失った」と同時に「重石が取れた」ということでもある。それぞれが「自分なりの落語」を「自分で創る」しかない。「自分の落語をやっていい」ということ。つまり彼らは志ん朝の呪縛」から解放されたのだ。
 
 
・「SWA(創作話芸アソシエーション)」春風亭昇太三遊亭白鳥柳家喬太郎林家彦いち
 
林家こぶ平の九代目正蔵襲名」「ずんずん調査の落語家順位」「立川談春『包丁』」「柳亭市馬「普段の袴」「芋俵」「雛鍔」「高砂や」」「柳家喜多八」「橘家文左衛門」「立川談笑(談生)」春風亭一之輔「プロフェッショナル 仕事の流儀」「立川こしら三遊亭兼好柳亭こみち、など。

 

寄席に行きたくなりましたー!いろんな師匠の噺、聞きたーい!オススメです。(・∀・)

 

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「数学者列伝 天才の栄光と挫折」(藤原正彦)

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数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

  • 作者:藤原 正彦
  • 発売日: 2008/09/03
  • メディア: 文庫
 

ワタシは明治大学農学部を受験するときに、英語、化学、国語で受けて、数学を選択しなかったというくらい苦手な数学。(だって、数学を選択しなくても受験できるのよ、農学部はっ!(笑))

 

数学や論理的思考がホント、苦手。でも数学的な発想とか数学者の人生や功績について読むのは好きなんだよねー!♪
 
さて、この本。自らも数学者である著者が、天才数学者―ニュートン、「主君のため、己のため関孝和」、「パリの混沌に燃ゆ エヴァリスト・ガロワ」、「永遠の真理、一瞬の人生 ソーニャ・コワレフスカヤ」「南インドの魔術師 シュリニヴァーサ・ラマヌジャン」「国家を救った数学者 アラン・チューリング」「真善美に肉迫した異彩 ヘルマン・ワイル」「超難問、三世紀半の激闘 アンドリュー・ワイルズ」―9人の足跡を現地まで辿って見つけたものは何だったのか。この世にいて天国と地獄を行き来した彼らの悲喜交々の人生模様を描くノンフィクション大作」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・神の声を求めた人アイザック・ニュートン
 
・幼少期のニュートンの胸の内は、彼が二十歳の時に記し告白に表れていている。そこには暗号代わりの速記体で、それまでに犯した58の罪が箇条書きされている。その一つに義父と母を殺し、家を焼いてしまうと脅したこと」というのがある。10歳以前の少年が、このような憎悪に駆られていたということから、ニュートンの受けた傷の深さが読み取れよう。ハイティーンの頃のラテン語練習帳は、恐怖、不安、疑惑といった否定的な内容の文例ばかりが目立つそうである。余りに辛い経験を通して、ニュートンはすでに暗く内省的で、猜疑心の強い人格を形成してしまっていたのだろう。彼は生涯、友人と言える人を持てなかったのである。
 
・力学については20年後になってやっと『プリンキピア』の中で全容を明らかにした。数学と光学に関してはなんと38年後になって初めて公表した。最高の数学者が初めて数学論文を公表したのは61歳の時だった。自然科学の歴史において『プリンキピア』の出現ほど重大な事件は他にない。アリストテレスプトレマイオスコペルニクスガリレイケプラーデカルトと、人類の築き上げてきた力学、物理学、天文学が一変したからである。
 
 
・独特の教育観を持ち、大学で古典を専攻したためか語学に達者な叔父の下で、ハミルトンは早熟な才能を発揮する。5歳までに、英語、ラテン語ギリシア語、ヘブライ語を読解することができるようになったのである。10歳までにはこれにイタリア語、フランス語、ドイツ語、アラビア語サンスクリット語、ペルシア語が加わる。美しい景色を前に、高揚した気分を表現するのに英語では不十分とみると、ラテン語で即興詩を作ったりする。一方、10歳でユークリッドの『原論』を読み、12歳でニュートンの『プリンキピア』を読み、天文学に魅せられる学校には一切通わず、すべての基礎教育を叔父の指導と独学により完了した。大学に入り、あらゆる試験で一番をとったうえ、大学では20年来誰にも与えられなかった大賞を、数学と古典でもらい、英詩でも学長賞を二度獲得する。まさに寵児だった。大学4年生のとき、卓抜なる業績により、ケンブリッジ大学教授をはじめとする有力候補者の中から、ハミルトンはなんとダンシンク天文台長兼天文学教授に推された。学部学生が教授就任を要請されるとは前代未聞である。ハミルトンの初恋」
 
・ここに登場する9人の数学者は、私が数学に足を踏み込んでから、っと神様のように思ってきた存在だった。少し大げさに言えば、本当に自分と同じように眠って食べて出していたのだろうかとさえ思っていた人々である。それがいつの頃からか、どんな天才でも神様であるはずはない、と思うようになった。若さを失った頃からだったかもしれない。と同時に、人間であるならどんな人間だったのか、きらびやかな衣の下に隠れた生身の人間を知りたくなった。自ら現地に足を運んで、生まれ育った風土、自然、歴史、民族、文化、風俗が、天才の人間性ばかりか数学まで、そういったものの産物であることがわかった。その天才がその時そこに生まれたがの、まったくの偶然でなく、当然あるいは必然とさえ思えるようになった。我々と同等、いやそれ以上に人間臭い人間であることもわかった。
 
・これら天才を追う中でもっとも胸打たれたのは、天才の峰が高ければ高いほど、谷底も深いということだった。栄光が輝かしくあればあるほど、底知れぬ孤独や挫折や失意にみまわれている、ということである。人間は誰も、栄光や挫折、成功や失敗、得意や失意、優越感や劣等感、につきまとわれる。そしてそれは自らの才能のなさのため、と思いがちである。否。天才こそがこのような両極を痛々しいほどに体験する人々である。凡人の数十倍もの振幅の荒波に翻弄され、苦悩し、苦悶している。天才がこのようなものと知ってから、天才は私にとって神ではなくなった。自ら進んで創造の苦しみを肉底にそして骨にくいこむほどに背負って歩いた人。たまた運良く、あるいは運悪く選ばれたたため、この世にいて天国と地獄を見た人といってもよい。

 

いや〜憧れるなあ……いいなあ数学って。オススメです。(・∀・)

 

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数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

  • 作者:藤原 正彦
  • 発売日: 2008/09/03
  • メディア: 文庫
 

 

「世界性生活大全 「愛」と「欲望」と「快楽」の宴」(桐生操)

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タイトルを見て、読みたーい!と思ってもタイトルで、店頭ではなかなか買えないって本があるよね。(笑)Amazonで買えばいいんだけどね。(笑)(・∀・)

 

さてこの本のタイトルもそう。じっくりと時間をかけて読みました。(笑)
「性的興奮を高めるために、足裏くすぐり専門の侍女を雇っていたロシアの歴代の女帝たち。領主が嫁入り前の農家の娘の処女を奪う権利があった中世ヨーロッパの「初夜権」。クレオパトラは“大きな口”という意味シンなあだ名をつけられていたが、それはあるとき100人もの護衛を相手に、フェラチオを行ったという逸話があるから! 花嫁オークション、神殿売春、ペニス・コレクション、試験婚……。古代から現代まで、世界中のセックスにまつわる仰天エピソードが満載」そのダイジェストを紹介しよう。
 
この世に男と女がいる限り、絶対になくならないものがセックス。そして夜のベッドの上は、さまざまな男女のドラマが生まれては消えていく格好の舞台であります。そしてそれが身分高い王侯貴族の性生活なら、なおさらのこと。ちょっとだけでも覗き見てみたい。それが、多くの庶民たちの本音なのではないでしょうか。
 
初夜権=昔のヨーロッパでは「処女」は危険な存在だと信じられていました。処女を犯すとというのは恐ろしい行為だとして、花婿に何も起こらないように、僧侶や花嫁の父が前もって花嫁のショジョを破っておくという風習があったのです。アフリカのロアンゴ海岸に住む種族は、娘が年頃になると全身を晴れ着で包み、集落から集落へと担ぎ回ります。目当ての集落に着くと、娘はそこの広場に日傘をさしてうずくまります。つまり、初夜権の公売です。誰でも決められた代金を払えば、娘と寝ることができたそうです。
 
「娼婦」ルネサンス時代、イタリアで最も売春業の発達したのはヴェネツィアでした。街を訪れる観光客のために、ヴェネツィア娼婦を紹介するガイドブックがありました娼婦の値段や住所はもとより、仲介の女将の名前までのっていたといいますから、便利(?)だったことでしょう。
 
貞操帯」「法律で禁じられたキス」「オナニー」「フェラチオ」「性病」「去勢」「禁欲主義」「姦通裁判」「ナポレオンの浮気」「生娘買い」「結婚指輪の起源」「新婚旅行」「ウェディングドレス」「鹿の苑」「コキュ( 妻を寝取られた男)」「不能裁判」「股袋」「溲瓶(しびん)」「トイレ代わりの穴あき椅子」など。

 

 他人の「夜のハナシ」ってなんでこんなにオモシロイんだろう!(笑)オススメです。(・∀・)♪

 

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「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」」(山口周)

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ワタシは、美術館や博物館が好きなんだよねー! 自分を理解を超えたモノを見て、体験することが好きなんだよねー!♪ (・∀・)

 

さてこの本。「これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない――「直感」と「感性」の時代――組織開発・リーダー育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループのパートナーによる、複雑化・不安定化したビジネス社会で勝つための画期的論考!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・英国のロイヤル・カレッジ・オブ・アートRCAは、修士号・博士号を授与できる世界で唯一の美術系大学院大学です。2015年のQS世界大学ランキングでは「アート・デザイン分野」の世界第一位に選出されており、資格芸術分野では世界最高の実績と評価を得ている学校と言っていいでしょう。ちなにみダイソン社の創業者であるジェームス・ダイソンは、このRCAでプロダクトデザインを学んでいます
 
・さて、このRCAが、この数年のあいだ、企業向けに意外なビジネスを拡大しつつあるのですが、なんだと思いますか?それはグローバル企業の幹部トレーニング」です。なぜ世界のエリートは「美意識」を鍛えるのか?
 
1 論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
→ 全体を直覚的に捉える感性と「真・善・美」が感じられる打ち手を内省的に創出する構想力や創造力が、求められることになります。
 
2 世界中の市場が『自己実現的消費』へとお向かいつつある
→人類史においてはじめてと言っていい全地球規模での経済成長」が進展しつつあるいま、世界は巨大な「自己実現欲求の市場」になりつつあります。
 
3 システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している
→明文化された法律だけを拠り所にせず、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になります。
 
経営における美意識
 
従業員や取引先の心を掴み、ワクワクさせるようなビジョンの美意識」
道徳や倫理に基づき、自分たちの行動を律するような行動規範の美意識」
自社の強みや弱みに整合する、合理的で効果的な経営戦略の美意識」
顧客を魅了するコミュニケーションやプロダクト等の表現の美意識」

 

よおし!エリートになろう!「美意識」を鍛えようっ!オススメです。(・∀・)

 

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「銀塩写真探偵 1985年の光」(ほしおさなえ)

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最近、ハマっていて、全作品読破を狙っている、ほしおさなえさん。同い年なんだよね……1985年っていうと、青春まっさかり。21歳、大学3年生かあ……。あの頃を思い出すなあ……どの作品も、胸を締め付けられるようだ……。感動の嵐……言葉にならない……。

 

「陽太郎の師、写真家の弘一には秘密の顔があった。それは銀塩写真探偵という驚くべきもの。ネガに写る世界に入り、過去を探れるというのだ。入れるのはたった一度。できるのは見ることだけ。それでも過去に囚われた人が救いを求めてやってくる。陽太郎も写真の中に足を踏み入れる。見たのは、輝きも悲しみも刻まれた永遠の一瞬で──。生きることとは、なにかを失っていくことなのかもしれない。哀切と優しさが心を震わす物語」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・なにが写っているかは問題じゃない。わたしが撮っているのは、常に『もの』じゃなくて『光』だからだ。『写真』は『真実を写す』と書くじゃあ『photograph』とはなんだ?ギリシャ語で『フォト』は『光』『グラフ』は『描く』つまり、『光が描く』という意味だ。
 
ネガでなければならないのだ。どんなに画素数が上がっても、パソコンの画像はドットでできている。ネガとは本質的にちがうのだ。
 
・「だいたい、お前は写真を撮る態度からよくない。目の前にある物体をつかまえに行くんじゃない。はいってくる光を受け止めるんだよ。つかまえようとすると、どうしても前のめりになる。手が動く。そうじゃない。ただどっしりかまえて受け止めればいい。撮ったらすぐ逃げよう、という態度もダメだ」
 
写真は、撮らないと上達しないよ。時は金なり撮り始めるのが一ヶ月遅れれば、一ヶ月損をする。若い人は一ヶ月くらいって思うかもしれないけれど、若い頃の一ヶ月は貴重だよ。だから、写真を撮りたいと思ったなら、とにかく一刻も速く自分のカメラを手に入れた方がいい。いや、手に入れなきゃダメだ
 
カメラっていうのは、光を受け取る機械だ。光という繊細な筆の跡をどれだけフィルムに載せられるか。考えに考えて作られている。だからカメラは、カメラの初心者なんかよりずっと光のことをよく知っている。だれでも光のことをカメラから教わるんだ。カメラに導かれて、光の世界に行く。カメラは「師」なんだよ。「師」がよければ、たくさん学ぶことができる。だから、最初のカメラ選びは大切だ。安いカメラでは高い場所まで行けない。授業料だと思って、いいものを買った方がいい。
 
・写真によってパリの街を記録し続けたウジェーヌ・アジェ独特な植物の近接写真を撮ったイモジン・カニンガムアメリカの自然を描写したアンセル・アダムス
 
オートフォーカスってなんだ?人の顔の写真でも、鼻にピントが合ったものと、目にピントが合ったものは全然別物だよ。どこにピントを合わせ、絞りをどれくらいにして、って計算して撮るのが写真。機械に自動で合わせられたらたまらない
 
・あの引き伸ばし機を使っても、ふつうはただネガが拡大されるだけだ。扉が開くには、その時間に行きたい、という強い思いが必要だ。いや、思いというより、もっと不思議なものだな。西條さんは呼ばれる』って言ってた。その人が見たいと思っているものがその世界にあるときだけ扉が開く。
 
・新見はそういう男だった。写真は遊びじゃない、世の中に真実を訴えるためののもだ、といつも言っていた。それに対して、わたしは、真実なんてものは味方によって変わるって立場だったからね。
 
・写真世界を訪れるたびに、ここを新見が見たらどう思うだろう、と思った。新見が撮るような戦場ではないが、あの世界には現実が記録されている。身近で、ありきたりの、だが、だれかにとってはほかに代えがたいほど大切な一瞬それが切り取られてあそこにある。その中を新見と歩いてみたかった。
 
・あのときは批判したが、改めていま見ると、大学祭の木の葉の写真、悪くないよ。あの木の葉の影の先に、お前の真実がある気がする。ほかのだれにも見えない、お前だけの真実が。俺はあのとき、そのことをうらやんでいたのかもしれない。お前のことは認めている。この世でお前の言葉だけは信じられる。ずっとそう思っていた。お前が写真そのものだからだ。お前はお前の道を行け。俺は俺の道を行く。お前だけの真実いつかそれを見せてくれ。  新見賢也
 
はじまったものはいつか終わるそういうことが見えてくるんだよ、この年になるとさ。
 

名言の連続だな、いいね、ホントに。うちのモノクロ写真に入りたくなりましたー!オススメです。(・∀・)

 

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「新幹線をつくった男 伝説のエンジニア・島秀雄物語」(高橋団吉)

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新幹線をつくった男 (PHP文庫)

新幹線をつくった男 (PHP文庫)

  • 作者:高橋 団吉
  • 発売日: 2012/01/07
  • メディア: 文庫
 

ワタシと同じ昭和39(1964)年 生まれということもあり、毎月のように乗っているということもあり、新幹線は大好きだっ!やっぱり飛行機よりも新幹線の方がお気に入りかなー!♪(・∀・)

 

そしてこの新幹線誕生の物語、好きなんだよね〜!「日本の東海道新幹線は、世界の鉄道を斜陽の危機から救いだした。鉄道全盛の時代に代わって、自動車と飛行機の時代が到来すると誰もが信じていたときに、距離数百キロの大都市間を、飛行機のように速く、通勤電車のような過密ダイヤで結ぶ鉄道がありうるということを、事実をもって証明した。本書は、戦前と戦後を通じて、国有鉄道という大組織の中で、世界鉄道史上に残る数々の傑作を生み出し続けたエンジニアの半生を描く関東大震災、太平洋戦争……激動の歴史に翻弄されながらも、真っ直ぐに職人魂を貫き続けた男の姿に、胸が熱くなる!『新幹線をつくった男 島秀雄物語』を改題し再編集」そのエッセンスを紹介しよう。

 
 
蒸気機関車の「デゴイチ」(D51)と東海道新幹線0系が、まったく同一の人物によって設計され、作り出されたという話を聞いたとき、おおいに驚いた。あの鋼鉄のむき出しのメカニズムと滑りゆく流線型のボディー。真っ黒い重量感と、ホワイト&ブルーのスピード感。「過去」と「未来」、「戦前」と「戦後」一見して、なにもかも正反対に見えるこの両者は、いったい、どこでどう結びつくのだろうか。世界鉄道史上に残る数々の傑作を生み出し続けた人物、島秀雄この物語の主人公である
 
・「島秀雄の生き方は、自分に与えられた役割に徹し続けることだったと思うんです。日本の鉄道を近代化すること。それに徹するのが自分の役割だと割り切って、脇目もふらずに邁進した。その覚悟を作ったのは、やはり20代、30代で経験した2度の外遊だったと思うんです」
 
湘南電車の色と顔。あの独特の緑とオレンジのツートンカラーは、沿線のミカンの葉と身の色から取られている。これが従来の通説である。しかし実際は、島が『レイルウェイ・エイジ』というアメリカの鉄道雑誌の表紙を指し示してこのツートンカラーでやってみよう」と指示を出したのである。その写真では、線路際のオレンジの木がたわわに実っていたという。当時はツートンカラーは皆無日本復興を告げる華やかなシンボルとして走りはじめるはず。ミカンの葉と実の色という後付の説明がつけられた……というのが真相のようである。
 
・当時の図面には「S式便器」つまり島式便器と書かれている。その後鉄道ばかりでなく、家庭や店舗でもおおいに活用されるようになった。とりわけ喫茶店、スナック、バーの類の比較的狭い店にはとても重宝されて「汽車型便器」という名で広く親しまれた。
 
湘南電車は何であったか。戦後鉄道史を語る上で、どのような意味を持っていたのか。ひと口にいえば、東海道新幹線につながる長距離電車列車の可能性を、世界に先駆けて実現し、証明してみせたことである。当時、世界に、1編成16両で2時間半も走り続ける電車はどこにも存在しない。
 
・19番ホーム名古屋よりの十河信二レリーフ一花開天下春」
 
新幹線中央乗り換え口、正面の柱のブロンズ製の記念碑。この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」

 

ちょっとーちょっとちょっと!今度新幹線ホーム、行ってみよっ!!!写真、撮らなきゃ!オススメです。(・∀・)

 

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新幹線をつくった男 (PHP文庫)

新幹線をつくった男 (PHP文庫)

  • 作者:高橋 団吉
  • 発売日: 2012/01/07
  • メディア: 文庫
 

 

この本も併せてオススメっ!